持っている人と持ってない人~運のお話し~ | diosas-music~Inspirierende Pianism 限界突破目指します! 

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それは物心ついたときでした。ピアノが大好きで。
でも7歳の時に諦めるしかなかった。
20年のブランクを超えて今度こそ夢を叶えます。
心に響くピアノ演奏と映像音楽作曲活動を目指しています。
主にピアノや作曲の日々の練習や活動などを発信しています。

出会いって必然だと思うんですね。

 

ですから私が子供の頃ピアノを続けられなかったのも(レッスンという意味です)

 

その時は縁ができなかったということなのかもしれません。

 

数年前東京である鑑定師に呼び止められ、

 

見てあげるって突然言われました。

 

こんなことってあるのだなとその時は驚きましたが

 

のちに知ったのですがその業界では上の方の方のようでした。

 

そしてその方に言われたことでとても印象があるのは

 

あなた子供の頃歌好きだったでしょって。

 

そしてあなたはよく言われている歌姫になる運命だったのよって。

 

そこでかなりびっくりして、でももう今からは違う運命が来ているわって(笑)

 

そういえば子供の頃よく歌っていたなぁって。

 

そして母親とか周りの人がなんか私をそういった大会に出したがって

 

私は出たくないとか言っていて・・・

 

しまいにはそんな情けない子供に産んだ覚えないって(笑)

 

いやいや、大会でないだけでそんな・・・

 

という感じでした。

 

日本舞踊もしてましたし、3,4歳の頃からピアノさせようとしたり

 

してたので、ステージママ的な感じだったのかなぁと今では思います。

 

そういえば中学生の頃かな、宝塚に住んでいる知人から私を養女に欲しいと

 

言われたことがあるらしく、私も来ないかって言われました。

 

音楽やっていたわけだし日舞もやっていたしこっち来て受験してみたらと。

 

その時は意味が分かりませんでした。

 

ピアノだってほとんど習ってないしその時は日舞もやめていたし。

 

宝塚の存在も知りませんでした。

 

どうしても私を養女に欲しかったみたいです。

 

もしその時養女になっていたらまた違う人生だったんでしょうね。

 

もちろん宝塚に入れるような実力はなかったので関西で住んで

 

また新しいご縁ができるという意味で。

 

私には今芸能プロダクションの社長さんをしている友人がいます。

 

その方はヴィジュアル系と呼ばれた人たちとつながりがあり

 

よくそのお話を聴いたりします。

 

そしてあるアーティストがおっしゃっていた言葉で

 

自分と同じぐらい弾ける人は世の中にたくさんいるんだ。

 

でも自分がこうやってこの仕事に携われているのは運がよかったんだよ。

 

周りにも恵まれたし・・・

 

ということを聞いて、そして私がアーティストを携えて東京に進出した時

 

この人たちと知り合えなかったのはそれはその時の私もアーティストも

 

この運を持ってなかったんだろうなって思います。

 

もちろん東京に行くことになったのは大手レコード会社の方から

 

呼ばれたことが一番でしたのでただ縁を手繰り寄せられなかったということかもしれません。

 

縁というのは自分で作ろうと思ってできるものではないですよね。

 

向こうからやってくる。

 

もちろん相手も向こうからやってきたと思うかもしれませんが(笑)

 

今私は素晴らしい先生たちに囲まれています。

 

たくさんの優秀な生徒さんたちをご指導されてきてそれこそ有名なコンクールや

 

大学に導かれた先生やとても才能豊かなピアニスト様でドイツの音大を首席で卒業され

 

ロシアピアニズムを研究なされご指導もされている先生。
 

このご縁を大事に大事にしていきたいです。

 

 

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