フィギュアスケート競技において、私が応援したくなる選手について、今一度、はっきりと書いておくことにします。

 

以前の記事で何度も書いてきたように、フィギュアスケート競技は、全ての選手を平等に扱って公正に採点している純粋なスポーツではないようだ、ということ。

その時々で勝たせたい選手が決まっていて、その選手に有利なようにルールを、しょっちゅう変えたり、採点の操作を行っているように見える競技だ、ということ。

 

以上のことから、勝たせるために優遇されているように見える選手よりも、そうではない選手の方を私は応援したくなります。

 

けれど、それは、優遇されていないように見える選手が、かわいそうだと思って同情するからでは、ありません。

 

何故なら、かわいそうと思って同情することは、その選手が弱いとみなすことになり、それは、その選手に対して、とても失礼なことだからです。

 

私は、どの選手の中にも同じだけの強さがあると思っています。

 

けれど、優遇されないということは、優遇される選手よりも不利な立場に置かれるので、そのように仕向けた大人達の思惑に負けないで、それさえも自らの力に変えて充分に発揮してほしい、との個人的な思い(願い)から応援したくなるのです。

 

【追記】優遇されることは、良い結果を出すことが期待されることでもあると思うので、それも大人達の思惑によるもの、よりプレッシャーがかかるものとも言えると思います。

 

けれど、これまで見てきた限りでは、優遇されていない選手は、滑走順が不利な最終滑走になるとか、少しでもミスをすれば大幅に減点されることが多いようだったのに対して、優遇されている選手の場合は、滑走順が有利だったり、ミスを大目に見てもらえる(見逃してもらえる)ことが多いようだったので、よりプレッシャーがかかるのは、優遇されていない選手の方だと私は思っているのです。

 

もちろん、優遇されていない、というだけでなく、選手自身や演技から感じられる魅力も、応援したくなる理由の一つです。

 

 

ちなみに、優遇されているかいないか、についての判断は、一部のファンによる作り話によってではなくて、実際の話や試合の採点結果などから私自身が直接、判断できることだけを信頼しています。

 

だから、優遇されているのは明らかなのに、○○選手は、あれそれのことで優遇されていない、かわいそうだと言って、いくら作り話を並べ立てても全くムダだということも、はっきりお伝えしておきます。

というのは、かわいそうと同情してほしいからなのか、そのような作り話をしている一部のファンがいると伝え聞いているからです。

 

 

「本当に選手のためになる、選手の力になる応援は、不安になったり恐れたりすることから出てくる言動よりも、信頼することから出てくる言動なのだ」ということも最後にお伝えしておきますね。

 

 

 

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