[東京秋葉原] 秋葉原1995年〜バブル崩壊後リストラ旋風の中の電機街





[東京秋葉原] 秋葉原1995年〜バブル崩壊後リストラ旋風の中の電機街
[スポット] 松葉一清: 秋葉原1995年〜バブル崩壊後リストラ旋風の中の電機街
松葉一清
秋葉原。今世紀を総括する博覧会場。20世紀の消費文明は,この街において手をかえ品をかえ欲望をかきたて続けてきた。どんな人気者もここでは盛りを過ぎた日には無惨にも打ち捨てられる。雄叫びをあげるのは、いつもただ一頭の勝ち馬だけ。。工業生産と大量消費の大原則である優勝劣敗が貫徹される。その結果,市場障壁も内外価格差も克服した自由市場が出現した。だからそこは魅力的な物産会場でもある。とにかく活気が溢れている。長引く不況が尻込みの気分を蔓延させている時代に,数十万円の現金がレジで支払われ続けるのを見るだけでも元気が出る。なにはともあれ、秋葉原へ出かけようではないか。
■形のない街
市場原理が街を目まぐるしく変える。電脳自由都市。そう呼べる状況を秋葉原は呈している。20世紀博覧会はパソコンの爆発的な普及で今やクライマックスを迎えようとしている。自由都市を標榜する街でまず注目すべきは流動性だ。20世紀の都市は前世紀までとの相違を「移動」と「速度」というふたつの概念で提示してきた。わたしはこの数年間,毎週一度か二度欠かさず秋葉原に通いつづけているが,ひと月前の街を再現しろといわれてもとてもできない相談だ。目まぐるしく街は様相を変えていく。「移動」と「速度」といっても本来は交通システムの話だったのだが,秋葉原では「街」そのものが流動してとどまる瞬間がない。それは工業化によって社会の進化に応じ都市を変貌させうるとしたモダニズムの企みを超越した,世紀末電脳都市の姿なのである。
老舗もなにもあったものではない。弱肉強食。売上げの如何が街の地図を絶え間なく変動させる。知らないうちに馴染みの店が引っ越したり閉店してしまったりという体験が一度ではない。これは既存の都市の原則が崩壊した状態である。都市は一度築けば少なくとも千年の命を永らえることを期待される。そこに建つ建築は恒久の命を求められてきた。だが秋葉原にはそれがない。市場原理という王様が街を日替りで模様替えさせる。
本来20世紀は定番商品を生む事によって欲望をかきたててきたはずだ。装身具や時好品などの店は,立地と構えで名を成し,高付加価値のブランド品を高価格で販売するのが常道だった。秋葉原はどうか?数十万円の商品を購入しても,案内もないままひと月後には元の店は引っ越してしまっている。ただ自己分力で店の移動を追跡するしかない。
そのような見定めるべき安定した文脈を失した都市は,ウィリアム・ギブスンが近未来SFの古典「ニューロマンサー」のなかで描いたナバ・シティーや,リドリー・スコット監督の近未来映画の不朽の名作「ブレードランナー」に出現する2019年ロサンゼルスなどと二重映しになる。それらのSFや映画が描きだした近未来都市には,20世紀の価値基準に基づく優れた建築が存在しない。都市のハードというハードはくたびれはて,そこに不気味な酸性雨が降る。その「建築なしの都市」の図式を秋葉原は絵に描いたように追認していく。
これ以上はないひどさのショップのエクステリアとインテリア。不挨な看板とネオンサインだけが跳梁する。作品と呼ベる建築をそこに見いだすことは不可能に近い。昭和通りを越えた東側の佐久間町にビーター・アイゼンマンが設計した脱構築主義を標榜する「IZM」が存在するが,アイゼンマンの建築的文法の破壊作業も「建築不在部市」の迫力の前では机上の空理論と映る。
■DOS/Vで開放された秋葉原
1990年に日本IBMがDOS/Vという基本ソフトを発売するまでは,秋葉原は市場障壁の象徴のような街だった。日本語を扱えるパソコンはNECの9801シリーズによる寡占状態にあり,本体も周辺機器も信じられないほど高価だった。DOS/Vはアメリカ製の安価なIBM-PC互換パソコン上で日本語を扱えるようにする画期的なソフトで,その出現によって世界中に一億台といわれるIBM-PC互換パソコンの本体と,それを想定した安価な周辺機器が日本語環境で使えるようになった。この恩恵に最初に預かったのはパワーユーザーと呼ばれるオタクたちだった。効用の大きさが,自由度の高さゆえの難しさを乗り越えさせ,DOS/Vは今では日本のパソコンの中心になった。パソコンの価格帯はDOS/Vによって30万円前後から10数万円まで下がった。性能は10倍以上に高まったから価格性能比の改善は20倍を超える。DOS/Vを普及させたのは,世界には安価なパソコンがあるのだから,それを使うことにより,日本を情報立国戦争に後れをとらせまいとする多くのひとの熱意だった。
秋葉原のパソコンショップはこれに応え,毎週のようにアメリカとアジア諸国から、最新の安価な本体,周辺機器の輸入を続けた。それが飛ぶように売れたため,大手の家電店を保護する形で販売促進を続けていた国内メーカーも仕方なくこぞって値下げに転じた。この競争は1992年頃から激化し,新しい機器と価格破壊を繰り返し,毎週のように秋葉原に通う人種が出現した。一方,長引くバブル崩壊後の不況による企業の間接部門圧縮というリストラの風が吹きはじめ,パソコン導入による事務効率向上への要求が高まった。パソコンは、もはや、避けては通れないものとなったのである。だから,秋葉原の隆盛はバブル後の産業構造の変化を映し出しているといえる。バブルは既存の都市観に基づく懐古趣味の都市を最後の徒花として開花させた。その後にリストラ気分そのままのバラックの秋葉原が歓迎されているのは皮肉な構造といえよう。
国内論理が何にも優先してきたわが国において,市場原理がここまで鮮やかに市場障壁を取り去った例は他にない。秋葉原を電脳自由市場と言挙げる所以だ。
■DOS,Mac,NECの業界地図がそのまま地図に
秋葉原の北側エリア,「ザ・コン」を境に末広町側へ進むと,アキバは「ディープな世界」に入っていく。ここ数年,日本のパソコン界を二分,いや三分して行われてきた「議論」の結果がそのまま地図に現れてくる。三分とは
「DOS/V」
「マック」
「98(NEC PC-9801シリーズ)」
の3つのパソコンの系統である。
DOS/Vは1990年に登場したOS(オペレーティング・システム)で事実上の世界標準であるIBM-PCを日本語で扱えるようにしたシステムである。当時の日本はパソコン暗黒時代といわれ,NECの9801シリーズがシェアを独占していた。IBM-PCと98はもともと同じMS-DOSというOSを使っており,日米の兄弟の関係にあるが,98が日本語対応を売り物に,価格もソフトの開発も思うがままにしてきた。DOS/Vは開発当初は不人気だったが,バージョンアップとともに使いやすさが増し,また世界標準ゆえに世界中,とりわけアジア製の安価なパソコン本体や周辺機器がほぼどれでも使えるため,国際化,市場開放の波に乗って1992年を境に一気に支持者を広げた。アキバでは,最早,98の以前の「権威」を確かめることはできない。全国シェアは1位でも、アキバでは衰えを隠せない。
「マック=Macintosh」は1984年にアメリカで開発された。使い勝手の抜群によい独自のMa
CROSを搭載したパソコンの草分けだ。1990年代初めまでは上級機1台で車が1台買えるほど高価だった。しかし世界的なIBM-PC互換機の価格破壊の嵐の中でシェアを落とし,自身が企てた価格破壊でファンの信頼も失った。もっとも日本ではこの数年人気は急上昇だ。DOS/Vとともに98を挟みうちにしつつある。
■秋葉原ショップ事情
この街の細胞とも呼べるショップは目まぐるしく移動する。勝者は絶えず優位の立地を目指す。相当に有力なパソコン店であっても,一年前にそれがどこに存在して現在の立地が以前はどうであったかは正確にはいえない。
T・ZONE
「ザ・コン」を境に末広町側へ進むと,アキバは「ディープな世界」に入っていく。この地区でのショップはまず、「T-ZONE」にとどめをさす。「世界最大級のパソコン・メガ・ストア」の売り文句のとおり,7階建ての巨大な店舗を持つ。品揃えの中心はまずDOS/V,次いでマック,そして98である。
ビルは、もとは家電の「ミナミ」の店舗であった。「ミナミ」はバブル絶頂期には経営者の南学正夫氏がヨーロッパの城を買うなど話題を呼んだ企業だ。レンタルとはいえ,隣の小ビルの主だった「T・ZONE」が出世して引っ越した現状は変わり行くアキバを象徴する。世界最大のパソコンショップをうたう「T・ZONE」。家電ミナミの巨大なビルを貸切りに近い状態で使う大手だがついこの間までは路地をを挟んだ隣の小さな7階建てのビルで営業していた。そのまた隣の「T・ZONEアダチ」は系列店らしいがいつ出現したか記憶にない。チェーンとして店舗の多い「ソフマップ」の場合,どこもかしこも月に一度は改装と売り場の移動を繰り返している。
「T・ZONE」の特色は、店のあちこちで休める場所があるし,6階にはパソコン通信のための
「FAP(フリーアクセスポイント)」があるなど、環境の悪いアキバには珍しいサービスをしている。電話のモジュラージャックが用意されていて、自分でノートパソコンなどを持ち込めば電話料は「T・ZONE」の負担でパソコン通信やインターネットへのアクセスができる仕組みだ。利用者もかなりの数に上っている。驚くほど日本語の上手な外国人店員を配しているのにも感心だ。
ソフマップ・シカゴ館
DOS/Vがオタク相手だった1992年頃は末広町に近いペンシルビルの7階までちっぽけなエレベーターで上がったところにあったソフマップ。。それがDOS/V人気とともに立地がよくなっていった。今は、中央通り沿いの駅に近い「シカゴ(ソフマップシカゴ館)」がDOS/V機の拠点のひとつ。そこは家電不況のなか倒産したシントク電気のテナントビルだった。
総武線の高架沿いのゲームセンター「セガ」(旧シントク本店)からもう一軒置いた隣は秋葉原で最も勢いのあるパソコンのディスカウンター「ソフマップ」のウィンドウズ機の専門店「シカゴ」に変身した。この店名はこの秋に発売予定のウィンドウズの新バージョン「Windows95」のマイクロソフト社が開発途上で使っていた社内でのコードネームが「Chicago」だったことに由来する。ビルの外壁は真っ青に塗られ、屋上には「民衆を導く自由の女神」を意識した「バソコンはソフマップ」の外国人モデルを起用した巨大な写真看板が掲げられている。
「シカゴ」はソフマップのいわゆるフラッグシップ(旗艦)店舗で,店内には有名メーカーのパンコンが箱積みされている。価格はまあまあ安い。
「アキバの家電店はソフマップのショールーム」などといわれた時期もあるが,激烈な価格競争は、ソフマップの存在意義を価格よりも品揃えに移してしまった。繰り返される店舗改装が何を物語っているのか,外部の人間には通りがたい。
ラオックスザ・コンピュータ館
中央通りと直交する大きな通りに面して聳えるのは「ラオックスザ・コンピュータ館」,通称
「ザ・コン」。ここは1階の書店が素晴らしい。コンピュータ書の品揃えは抜群。うずたかく積まれた月刊誌の山がパソコンの勢いを感じさせる。2階から上はパソコン本体,周辺機器,ソフトなど。店は清潔で一見高そうだがソフトなどは秋葉原一安いことも多い。あけすけなディスカウンターのなかには「説明はザ・コンで聞いて,買うのはうちで。それが一番確実」などと呼び込みをしているところもある。信用ある大店舗ゆえの「有名税」。
DOS/Vパラダイス
DOS/Vブームを演出した「DOS/Vパラダイス」「フリップ・フラップ」といった店が秋葉原北側エリアの一帯には群雄割拠している。いずれもIBM-PCを自作するひとのための部品をそろえ,場所を変わるたびに大きくなったショップである。そこでは円高,価格破壊の影響で毎週価格が下がっていく。こうしたハード価格の競争は多くの専門店の経営を圧迫している。DOS/V創成期のファンには親しみのあった「スパンキー」の屋号を見かけなくなったのは心が痛む。
オタクが集う「DOS/Vパラダイス」は,当初は、小ビル7階のNEC-PC9800中古店のビルを改装して開店した。そこのエレベーターは7人乗りのはずが5人しか乗れず,ウエイトオーバー気味のわたしはいつも白眼視された。それがDOS/V人気で大儲けしたのだろう,裏通りとはいえかなりの広さの新ビルの1階に変わった。
STEP
ディスカウンターのシンポルだった「STEP」は、家電店が力を持っていた時期には,一度開いた秋葉原店をたたみ千葉の市川へ退却を余儀なくされた。復帰後,DOS/V専門店やマッキントッシュ専門店まで手を広げたが,現在は須田町交差点の一角の2店舗ですべてをまかなう。
ヒロセムセン
かつて秋葉原きっての大手家電店が電飾を競い合った駅に近い中央通り沿いの地区ほど,秋葉原の様変わりを物語るところはない。「シントク」と「ヒロセムセン」の2店が相次いで姿を消した。ともに豊富な品揃えと家電に関しての商品知識で秋葉原の顔として親しまれていた。それが突然,本当に突然店を閉めてしまったのである。出勤した店員たちは店頭の貼出しを見て初めて倒産を知った。バブル崩壊の一場面である。
PCIN
総武線の高架沿いのシントクの店舗は「セガ」のゲームセンターと、DOS/Vパソコンに参入した三井物産デジタルのパイロットショップ「PCIN」になった。このビルには倒産後,巨大なパナソニックの電光掲示板も掲げられ,今ではシントクがあったことさえ忘れられた。この電光掲示板は、漫画「ねこぢる」のヘタウマ絵で評判を呼んだ。
ナカウラ
ソフマップシカゴ館の向かいの列には、家電の老進ナカウラが開いた「あんこうパソコンタワー」や,ラオックスゲーム館などがならぶ。いずれもこの2年ほとの間に出現した店である。パソコン化の急速な波がもたらした変化だ。
ツクモ電機
ソフマップシカゴ館の裏通りにはパソコン専門店がそろう。「ツクモ電機」は、かつてソフマップとならぶパソコンの店だったが,一時期出遅れをくって目下追い上げ中で大分復調してきた。
TWO TOP
秋葉原北側エリアで人気の二番手は「TWO TOP」。新参組だがアウトレット的な売りかたでアキバのプライスリーダーになっている。売っているのも少年たちなら買っていくのも少年たち。
■秋葉原ショップ事情
IBMの専門店「WAKAMATSU」,日本のパソコン界の生き字引,本多弘男さんの店「ぷらっとホーム」,ジャンクの「丹青通商」,T・ZONEの「パーツセンター」などが軒を接する。
昌平橋通りまで分け入るととりすましたインテリアのビル「リビナヤマギワ」があるが,その周囲にもDOS/Vの老舗「コムサテライト」、若者向けの廉売店「シスペック」などの店がそろい、週末には人の波が途切れない。この一帯のパーツ屋,ジャンク屋の店頭で屈み込んで何に使うかわからないソケットやケーブル,チップ類を手にして悦に入っているひとびとの喜びの奥深さは、ちょっと見ただけでは理解できない。それでもこの地区の特色を総括するなら、「ステイタス」ということになるだろう。石丸,ヤマギワ,オノデン,ラオックスといった家電時代の老舗が軒をならべる駅に近い一帯に大店舗を構えるのはいうなればアキバ人の夢だ。ソフマップが成功とともに末広町に近い立地からこちらへ攻め上ってきているのは多分そんな思いがあるからだろう。またこの一帯にパソコン専門店が急増
しているのは,それほどに旧来の「しろもの」と呼ばれる家電をパソコンが圧倒しつつあることの証しともいえる。もちろん老舗もパソコンを手掛けだしてはいる。しかし,売っただけ,持ち帰ってコンセントをさせばそれで誰でもが使えるところまでパンコンは発達してはいない。だから、「ザ・コン」のような家電老舗の鮮やかな変身はあとが続かないのである。パソコンのディスカウンターとゲーム店に押されて老舗はたじたじた。駅に近い中央通りの店頭に、新世代ゲーム機の「プレイステーション」や「セガサターン」のデモ機が並び,それをロハで遊ぶこどもたちが列を作る光景は,家電埋没を端的に物語る。
Macintoshの店はくださ秋葉原北側エリア地区に集中する。DOS/Vに先んじて元気な販売をしていたがこのところ後塵を拝しがちだ。それでも「ハロー」「リッツコンピュート」千葉の市川から新参の「マックギャラリー」が多くのファンを集めている。
新参組といえば、他地区で立派に店を張ってきたショップの進出がこの数ヶ月目立つ。新小岩の「P&A」渋谷の「ソフトクリエイト」が相次いで店を開いた。小規模すぎてまだ取るに足らないが、アキバでの出世はまずこの地区からが原則だから目を離せない。
北側地区は、パソコンのディスカウンターの消長も激しい。半年前には「フリージア」が人気一番だったが、このところ品薄なようで,今の注目は「秋葉館」。アップル非公認ディーラーと誇らしげに記しMacintoshの輸入機種を販売している。DOS/Vもそうだが,少し知識があれば安価な並行輸入品で日本語が完全に動くので人気だ。輸入品を中心にしたCD-ROMソフトの店も多い。「CD-ROMパラダイス」「メディア・バレット」など。
ー雑誌東京人,1995年9月号

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