☆先日の夕景@東京都内☆
 
 
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今夜こちらの前記事としてアップしました、
 
今夜のサントリーホール、
 
N響第1929回定期公演。
 
演奏終了後の解説の西村さんのコメントが
またとてもよかったので、そちらの補足記録を…
 
 
「とても上品な」
「透明感のある、ね、まさに、“冬の日の幻想”」
「そうか、こんな最後(楽曲のラスト)だったらいいのか、」
「最後、もっと泥臭く終わるかと、いや、泥臭く演奏するものもあるんですよ、でもこんな風にやればいいのか」、
「上品で清澄ですよ、これならいいと思いました」
 
というのも、休憩中のトークタイムで延々語ってらしたのが交響曲についてだったのですが、その中で西村さん、チャイコフスキーのシンフォニー作家としての苦悩?を語ってくださり…同時代のブラームスや、ロシアの五人組、彼らに対してもいろいろ思いがあるなかでの、この第1交響曲ということで、4・5・6に比べて昔はそれほどというような評価だったけれど(西村さんご自身としても昔はあまり重要視していなかったけれど、と)
今は演奏される機会も多くなり、作曲家自身何度も何度も改訂して見直して作られ完成されたもので、いい作品になっている、と評価されていらして。ところが、それでも楽曲のラストだけは、「(自分は)あんな風にはしない、恥ずかしくて」ということを言われて…「最後、聴衆に歓声をあげてほしいことがよくわかる」「聴衆を意識して書いていることがよくわかる」と。
 
こうしたお話の流れがあったので、演奏終了直後のご感想であれだけ喜んでらしたのは、今夜の演奏に、きっと、ご自身のなかで、あらたなこの曲の印象を持たれることになった、そのきっかけを今夜の演奏から受け取られたのだろうと思いました。
 
私自身は、この1番シンフォニー、ちゃんと聞いたのは今夜が初めてか?と思うほどこの曲に対して印象がなくてですね、何も比較対象を持たないのですが…とってもキレイな作品だと思ったのは、やはり、今夜の演奏が先ほどの前記事の最後に述べたように、とても端麗、端正、と感じたからです。私としては「こういう作品」なのかと思いましたが、この作品を熟知されている西村さんに言わせると、通常「最後はもっと泥臭く」て、西村さんはその点を評価されないようにおっしゃってらしたので、今夜の演奏のように上品な、「清澄ですよ」と、「(パブロ・エラス・カサドさんは)まさにこれからの21世紀の指揮者」というようなことを最後にもあらためておはなしになって、それまでもよい印象をお持ちのところが、さらによい、喜ばしい印象を持たれたのでしょう、それを聞いているこちらもとても気分がいい、うれしくなるような…そんな番組の最後でした。
 
 
先ほど上がってきた、今夜の演奏終了後の公式アカウントより。

 

 

 
 
 
 

☆ベストオブクラシック、番組サイトのスクショ画像です☆
指揮者のパブロ・エラス・カサドさん@スペイン出身の42歳。
 
 

「スッキリ、端麗、シャープな切れ味。」

 

「もう一度、ぜひまた聴きたい。

今後の来日を、楽しみにしています。」

 

(*・ω・)(*-ω-)(*・ω・)(*-ω-)♪

 

何度でも聴きたくなります、

魅力的な演奏~ニコニコむらさき音符

 

 

音楽のカミサマニコニコ

いつもありがとう…

 

 

いつもお付き合いいただきまして

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