2回続けての「お城紀行」でしたが、本日は世界遺産「琉球王国のグスクなど」の一つでまだ紹介していなかった「中城(ナカグスク)城」(沖縄県中頭郡中城村」を訪問します。

 

中城城の「三の郭」の城壁(この上に「三の郭」が拡がる)

 

「中城城」は、1300年代に地元の豪族が築城し、1440年頃には琉球の築城名手「護佐丸」によって、整備拡大されました。その後、「琉球王朝」の傘下に置かれ、「正殿」跡には行政施設として「番所」を設けて管理されました。

 

更に歴史に出てくるのが、1853年にアメリカの「ペリー」艦隊が琉球に上陸して、この「中城城」の調査が行われました。

 

「城(グスク)」の構成は、「一の郭」「二の郭」「三の郭」とほぼ一直線に段々と下る「連郭式」縄張りで、その周囲には「南の郭」「西の郭」「北の郭」が南から西側の守りを固めました。各郭の周囲は、琉球「城(グスク)」の特徴である曲線使いの「城壁」によって囲われています。

 

それでは、「三の郭」から「一の郭」方向に向かって見ていきます。「三の郭」側は「グスク」の裏側になりますが、「裏門」前の広場から眺める「三の郭」の城壁は、高さは勿論のこと石垣の積み方が石の接合面を合わせて積上げる「相方(あいかた)積」、そして真ん中を曲線使いの凹型となっているので、凄さと美しさに圧倒されます。

 

「三の郭」に入る右側のアザナ(物見台)

 

 その石垣の右側にある「裏門」は「拱門(アーチ門)」で、「北の郭」の出入口となっています。

 

「裏門」の形式は「拱門(アーチ門)」

「北の郭」のアザナにある狭間

「北の郭」のアザナ(大井戸の上)

 

「北の郭」を通ってメイン郭である「三の郭」内に入ることができますが、「裏門」に入ってすぐ右手には「大井戸(ウフガー)」があり城内の水確保を担っています。

 

「北の郭」内にある「大井戸」

 

「三の郭」は、現在は広場になっていて、後ろを振り向くと「二の郭」の石垣が迫ってきます。城壁の内側は、「武者走り」を設けてアザナと呼ばれる「物見台」を置くことによって防御を強化しています。

 

「三の郭」の広場、周囲は城壁

 

「二の郭」の城壁も「三の郭」の城壁と同様に、高石垣で、真ん中は凹型曲線美を描きますが、石垣の積み方はレンガ状に加工した石と石との間に目地を横へ通す「布積」を採用しています。

 

「二の郭」の城壁、この上に「二の郭」が拡がる(手前が「三の郭」)

 

「二の郭」へは、「北の郭」内にある「門」を通って「西の郭」経由で入ります。

 

「北の郭」から「西の郭」への門

 

「二の郭」内の城壁内側は「武者走り」を備えています。

 

「二の郭」周囲を取り巻く城壁と右奥には「一の郭」へのアーチ門が見える

「二の郭」を取り巻く美しい城壁と「中城湾」が見下ろせる

「二の郭」の城壁と武者走り

 

そして「二の郭」に繋がる郭が、「一の郭」と「西の郭」です。

 

「西の郭」は「一の郭」の北西下側に東西細長く延びた郭になっていて、当時は兵馬や弓の練習をしていた所だったそうです。

 

細長い「西の郭」跡

 

「二の郭」から「一の郭」に入城する際は、これまた覆いかぶさるような城壁の真ん中を凹型湾曲させた中に開けた「拱門(アーチ門)」形式の「一の郭門」を通り抜けます。  

 

「一の郭」の城壁でアーチ門は「一の郭門」

 

「一の郭門」を潜れば「一の郭」が拡がります。そこは、「正殿」などの建物が建っていた敷地で、基壇石垣を始め広場、建物跡、物見台が残っています。この「正殿」の跡に、1729年に建てられた「番所」が残っていましたが、太平洋戦争の沖縄戦で焼失してしまいました。

 

「一の郭」周囲を取り巻く城壁と武者走り

「一の郭」内正殿跡或いは番所の発掘作業(現在は大半が埋め戻されている)

「一の郭」内正殿跡或いは番所の発掘作業(現在は大半が埋め戻されている)

「一の郭」内の拝所

 

「一の郭」の南西側には「南の郭」に通じる「門」があります。

 

「一の郭」と「南の郭」を区切るアーチ門

 

「南の郭」は、何か所かの「御嶽」があり「拝所」となっていた郭です。城壁には「狭間」が繰り抜かれていて、その西側下にある「正門」を監視したようです。

 

「南の郭」にある「御嶽」

南の郭石垣の狭間(三眼銃用)

 

「中城城」は、「琉球王朝」下に置かれた直轄地でしたので、「正門」は「王朝」の主城であった「首里城」の方向に向けていました。門の形式は、「櫓門」或いは「四脚門」であったようです。

 

「正門」跡石垣

「正門」と「南の郭」の石垣

「正門」と「南の郭」の石垣

 

「中城城」は、人の手による改変があまりされてない「城(ぐすく)」ということで、3箇所の曲線使いの城壁と最も高い「三の郭」からの素晴らしい眺めが楽しめる「グスク」だと思います。

 

最後に、「中城城」の近隣には、18世紀中頃にこの地の地頭職であった「中村家」の住宅が残され、歴史的建造物ということで重要文化財に指定されています。琉球時代の上層農家の建物がそっくり残されていて、当時の暮らしぶりが解る貴重な住宅だそうです。

 

中村家住宅の正面

 

中村家住宅のアシャゲ(離れ)

中村家中門と高倉

中村家メーヌーヤー(畜舎と薪置き場)

中村家居間(三番座)

中村家母屋客間(一番座)

 

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