先日、運動不足解消の為にウオーキングをする為に、目的地として我が家から約2㎞程歩くと「住吉神社」がありますので、そこまで足を延ばしました。「住吉神社」は、小学校の頃には写生をしに何度か訪れたことがある場所で良く知っていましたが、そこから西側へ旧道のような道が延びていましたので、少し歩いてみました。

 

丁度、「西国街道」の絵地図があり、それを見ると、街道沿いには史跡や遺跡が並んでいます。

 

「西国街道」の絵地図

 

絵地図に、「十二神社」(大阪府池田市豊島南1丁目)があり、その後ろに「防空壕」との記載がありましたので、少し興味を持ったのでそこを目指して進みました。そして初めての神社で、正面に向かって左手に歩くと、「防空壕」がありました。

 

「十二神社」の本殿、その左側奥に「防空壕」がある

草で覆われている下に「防空壕」が

 

こんもりと盛土がある中央には、ほんの少し穴が開いていてそこから出入りしたのでしょう。現在は、柵をして入れないようにしてあり、中も暗くて覗いても何も見えません。

 

「防空壕」の出入口と説明版

説明版

防空壕の出入口

防空壕の中は真っ暗

 

私は戦後生まれですが、学校の授業で先生から学んだり、両親から戦争の話を聞いたことで「防空壕」の存在を知っていますが、若い人は、「防空壕って何?」という方が多いと思います。

 

太平洋戦争時も後半になると、アメリカ空軍機による本土爆撃を頻繁に受けることとなり、敵機が来襲するという情報があれば、即座に近くの土地に掘った穴蔵の中に逃げ込んで、敵機が去るまでそこに滞在したり、ひどい時には、敵機が空から爆弾投下や爆撃をしている時には、慌ててそこへ逃げ込んだらしいです。

 

しかし、近くに爆弾投下や爆撃を受けてしまえば、爆弾の破片が中に飛び込んできたり、穴の崩落等で命を落とすことが頻繁にあったそうです。

 

毎年8月になると、必ずTVで放映されるアニメ「火垂る(ほたる)の墓」の中でも、空襲で「防空壕」に逃げ込んだり、母親をなくして妹と「防空壕」で過ごしたシーンが描かれています。

 

そのような「戦争遺跡」である「防空壕」が、大阪市内から離れた郊外に掘られて、我が家の身近な場所にも現在残されていることに、非常にショックを受けました。

 

説明書きが立っていましたが、この近くには現在「大阪国際空港(伊丹空港)」があり、その前身として戦争時には「大阪第二飛行場」があったので、近くの住宅地にも空襲を受ける可能性が出てきたことから、「十二神社」の境内に「防空壕」が掘られたそうです。

 

「十二神社」の鳥居

 

長さが10m、幅が3~4m、高さが2mのコンクリート造りで、30人収容規模だったそうです。

 

「防空壕」の端の部分のコンクリートが剥き出しになっている

 

全国には、「戦争遺跡」が、「軍事遺跡」「軍事関連施設」「被災建造物・記念碑」など色々な形で残っているようですが、戦争の脅威を後世に伝えるためにも、崩壊しないように保存されることを願いたいと思います。

 


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