一昨日のブログ「都之城・都城麓」(宮崎県都城市)の続きで、市内にある「都城島津邸」(宮崎県都城市早鈴町)を紹介します。所謂、「都城島津家」の領主だった「島津久寛」が鹿児島から戻って建てた邸です。

 

都城島津邸(庭から)

 

この邸宅は、明治12年に早鈴大明神の跡地に建てられたもので、現在の建物は昭和10年に陸軍の大演習に備えて、明治時代の建造物を立て直して増築し、大演習の時には「閑院宮」が宿泊しました。

 

その後昭和47年に、「昭和天皇夫妻」が宿泊の際にも「本宅」が大改装され、現在でも、夫妻が食事をとった部屋、休息した部屋、宿泊した部屋等が残されています。万が一の為に、窓の鉄格子や螺旋階段を装備していました。

 

昭和天皇のご宿泊の記事と都城島津家本邸の歴史

 

邸宅内の洋食卓

昭和天皇夫妻のご休息の間

昭和天皇夫妻のご就寝の間

昭和天皇夫妻宿泊時に増築された控えの間

 

屋根は入母屋造り、玄関は主玄関と内玄関の二つ持ち、各部屋には床の間、棚、書院、納戸構えを備えて、主部屋には控の間を附属させています。面白い所では、裏には蔵の前に「プール」が造られていました。

 

広場からの外観

庭からの外観

本宅玄関

庭園側の廊下と各部屋

床の間、違い棚、付書院のある部屋

蔵とプール

 

現在邸宅敷地内には、色々な建造物や施設が建っていますが、この中で最も古い建物が慶応3年築の「剣道場」で、こちらに移築したものです。その他には、「外蔵」は明治5年築のものですが、明治15年に購入してこちらに移築されたもののようです。

 

手前から石蔵、剣道場、厩

 

「石蔵」や「御門」は、昭和5年から10年に建てられたもので、「日本庭園」も昭和10年築庭で、その後にも改造されているようです。

 

御門

庭園

 

内部の資料展示に、「都城島津家」の系図が縦長に、鎌倉時代から延々と代々描かれていましたが、「都城」以外のどこの「島津家」もこのような系図が有るんだろうなーと、日本有数の名家「島津家」の強さと凄さを感じることができました。

 

都城島津家の系図

 

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