私がかつて訪城した約25城の「模擬天守」を順次お届けしています。

 

前回のブログでも記載しましたが、今や市町村のシンボルで市民権を得た状態で聳えている等という理由で、「模擬天守」を採りあげました。そして「模擬天守」について以下の分類があることも簡単に纏めました。

 

お城に「天守」があったものの、現在城域外のかなり違う場所に「天守」が建てられている場合

②お城に「天守」があったことが絵図で描かれているが、その絵図とは全く違った形状の「天守」が建てられている場合

③お城に「天守」があったものの、「天守」の形が絵図や発掘物等何もなく判らない場合

④確かにその場所にお城が有ったと思われるものの、「天守」があったという史実が無い或いは確認されていない場合

⑤お城が有ったという史実が全く無い或いは確認されていない場合(今回のシリーズではこれは割愛します)

 

まずは、江戸時代に「藩庁」だった「お城」の模擬天守を見ていきます。

 

本日お届けするのは、「長岡」(新潟県長岡市)の模擬天守(御三階櫓)です。

 

模擬天守は「長岡市郷土資料館」

 

「長岡城」は、1616年に「堀直寄」によって築城が開始され、1618年から入城した「牧野家」に引き継がれ完成します。譜代大名のお城ですが、幕末・維新まで一貫して「牧野家」が統治した、珍しいパターンです。また、幕末・維新では、奥羽越列藩同盟で活躍した家老の「河合継之助」が有名です。

 

お城は、櫓や門を多く備えた立派な平城でしたが、戊辰戦争(北越戦争)によってほぼ全て焼失してしまいました。

 

「本丸」隅に建っていた天守代用の「御三階櫓」は、何枚かの絵図の中で描かれていて、三層の層塔型で破風なし(絵図なので詳細は不明)だったようです。

 

しかし、現在の「長岡城」の本丸跡は、JR「長岡駅」とその駅前になっていて「長岡城本丸跡」碑のみが建つだけですが、市内の「悠久山」には、「長岡市郷土資料館」として模擬天守が建てられています。

 

JR「長岡駅」前に立つ「長岡城本丸跡」碑

 

その「模擬天守」は三層三階の連結式層塔型で、「走り櫓」によって「角櫓」が連結していますが、実際の「御三階櫓」とは、全く異なった形状の模擬天守となっています。当模擬天守は、上記の①の分類になると思います。

 

模擬天守と走り櫓

模擬天守内

模擬天守最上階

模擬天守に連結されている「角櫓」

 

また、「長岡城」は土のお城であったので、「御三階櫓」も土塁の上に建っていたと推定されていますが、この模擬天守は石垣の上に建てられています。

 

入口付近の「角櫓」台石垣の中に、「長岡城」の発掘調査で発掘された石を使用している旨の説明書きがありますが、土塁の土留めに使用された腰巻石垣ではないかと言われています。

 

長岡城塁の石

 

次回のブログでは、「浜松城」(静岡県浜松市)の模擬天守をお届けします。

 

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