奥羽越で終わったかに見えた戊辰戦争の延長戦、「旧幕府軍」と「新政府軍」間で勃発した蝦夷地での攻防戦「箱館戦争」、それに関連したお城シリーズを投稿中です。

 

昨日の予告では「戸切地(へきりち)陣屋」の紹介予定でしたが、本日は予定を変更して、「五稜郭」を中心とした箱館市街地の「箱館戦争」に関わる陣屋他をお届けしたいと思います。

 

1700年代後半から、ロシアによる「蝦夷地」(北海道)来航が相次いだので、江戸幕府は「蝦夷地奉行」(後に箱館奉行)を置いて海防対策を取るようになりました。

 

更に1854年の「日米和親条約」締結で箱館の港を開港することになったので、「蝦夷地」(北海道)は「松前藩」以外の領地を幕府が管理するようになりますが、国防の為に各所の前線基地には、東北諸藩からの要員出向を含めて「出張(でばり)陣屋」を設けさせました。

 

南部坂と旧南部藩陣屋跡、後ろに箱館山

 

当初「仙台藩」が「択捉島」等の警備を任されていた拠点として、「箱館」に「千代ケ岡(岱)陣屋」(北海道函館市)を置きますが、1855年には「弘前藩」の陣屋となります。

 

そして、平地に築かれた「千代ケ岡(岱)陣屋」に対して、南部(盛岡)藩陣屋」(北海道函館市)や「庄内藩」「会津藩」「久保田藩」「仙台藩」の「留守居屋敷」も置かれ、それらは、前回のブログでも紹介しました旧「箱館奉行所」(五稜郭内に移設する前の)が置かれていた「箱館山」の中腹から麓にかけての高台に並んでいたようです。

 

しかし、奥羽越で「戊辰戦争」が始まると、各藩は自領へ引き揚げたので、各陣屋や留守居所などは空き家状態となりました。

 

そして「会津戦争」後、「箱館戦争」が勃発すると、新政府軍が「立待岬」からも上陸し、旧幕府軍の拠点となっていた「五稜郭」を目指します。

 

千代ケ台陣屋跡(木々が繁っている所で現在は千代ケ台公園、奥には新政府軍が上陸した立待岬、「五稜郭タワー」より望む)

 

一方、旧幕府軍の兵士達が取り残されていた箱館山北側の「弁天台場」、更には「五稜郭」と「弁天台場」の間に位置する「千代ケ岡(岱)陣屋」や「一本木関門」にも旧幕府軍の兵士達が滞在しており、新政府軍との間で壮絶な攻防戦が繰り広げられます。

 

一本木関門」では、旧幕府軍のNO2だった「土方歳三」が、「弁天台場」奪還の為に進撃していましたが、敵軍からの射撃でその場で即死したそうです。

 

現在は、その関門跡には、冠木門が建てられ「土方歳三」を偲ぶ碑が立っています。

 

一本木関門跡(函館市若松町、五稜郭と町場、港町を分けた)

土方歳三最後の地碑

一本木関門跡

 

また、「千代ケ岡陣屋」の近くでは、最後まで新政府軍との壮絶な戦いをした旧幕府軍の「中島三郎助父子最後の地」という大きな看板

が立っています。

 

中島三郎助父子最後の地

 

千代ケ岡(岱)陣屋」跡は、「千代台球場」と「千代台公園」に変貌し市民の憩いの場となっています。私が訪問したのは8月初めにもかかわらず、紫陽花の花が満開でした。

 

千代ケ岡(岱)陣屋跡(土塁の一部)  ※岱=台(だい)とも言われます

千代ケ岡陣屋跡(現千代台球場他、明治2年5月16日新政府軍により陥落)

千代ケ岡陣屋跡(千代台公園)の紫陽花(8月なのに満開)

 

前述した「南部(盛岡)藩陣屋」や各諸「留守居屋敷」が集まっていた場所や、旧「箱館奉行所」の現在地は、箱館湾が望める高台で、「元町公園」を中心に西洋と日本の各文化が融合した異国情緒溢れる街並みになっています。

 

元町公園(4藩の留守居役所があった)

元町公園(旧庄内、会津、秋田、仙台藩の留守居屋敷が並んでいた)

元町公園内の紫陽花(こちらにもいっぱい咲き乱れていました)

4藩留守居役屋敷が並んでいた現元町公園からのぞむ函館市内

 

旧「箱館奉行所」跡に建てられた「旧箱館区公会堂」、加えて「ハリストス教会」「カトリック元町教会」「トラピチヌ修道院」等の歴史的価値のある建造物が並び、明治時代から大正時代にかけて建築された建造物の展示場の様相です。

 

旧箱館奉行所跡(五稜郭に移す前の)石垣

旧函館区公会堂(左右対称の外観、瓦屋根に屋根窓が設置、旧函館奉行所跡に建つ)

函館聖ヨハネ教会(上空から見ると十字架に)

函館ハリストス正教会(重文、大正5年築)

カトリック元町教会(1924年築、ヨーロッパ中世のゴシック建築)

 

また、沢山ある坂道もその雰囲気を高める要素に成り、建造物と地形とのコラボレーションは素敵なスポットと成っています。「南部坂」と呼ばれる坂の途中にある「南部(盛岡)藩陣屋」跡は、丁度「箱館山」山頂に繋がる「箱館ロープウエイ」乗り場に近くにあり、現在は石垣や「陣屋跡」碑が立っています。

 

南部坂(坂上に南部藩陣屋があった)

南部(盛岡)藩陣屋跡碑

南部(盛岡)藩陣屋跡の石垣

南部(盛岡)藩陣屋跡

南部(盛岡)藩陣屋跡敷地

箱館山とロープウエイ

 

函館市街地を散策すると、約150年前に、この地で激戦があったことが夢のように思えました。

 

初回のブログは、「戸切地陣屋」(北海道北斗市)をお届けする予定です。

 

 

 

 

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