敦賀方面の「日帰りお城巡り」の四番目は「金ヶ崎城」(福井県敦賀市)です。

 

このお城にスポットが当たったのは、訪城した丁度一週間前のNHK大河ドラマ「麒麟がくる」で、「織田信長」により「朝倉義景」攻めを行いこのお城まで攻め込んできたのですが、「浅井長政」の裏切りで、「信長軍」が「朝倉」「浅井」両軍の挟み撃ちになる所を「羽柴秀吉」と「明智光秀」がしんがりとなって「京」へ逃げ帰るという「退き口(のきぐち)」になったこのお城のシーンが、ドラマで放映されたことです。

 

「金ヶ崎の退き口」の看板

「金ヶ崎城跡」「天筒山城跡」について

 

そういうこともあってなのか、「佐柿・国吉城」同様に結構な人出だったと感じましたが、「金ヶ崎城」がある岩山は、「金崎宮(かねがさきぐう)」もあるのでその参拝者も多く含まれていたのかもしれません。

 

この「金ケ崎城」は南北朝時代の築城で、1336年に「後醍醐天皇」が、「新田義貞」に命じて天皇の二人の息子である「尊良(たかなが)親王」と「恒良(つねなが)親王」を奉じて北陸道に下向させた時のことですが、一行が「気比神宮」から「金ヶ崎城」に拠ったところ、足利軍6万の兵を率いた「高師泰」によって攻められ「尊良親王」「義貞」等は亡くなり、「恒良親王」は捕えられた後に毒殺されてしまうという悲劇が起こったお城でもあります。ということで城跡に建てられた「金崎宮」は、両親王を祀る神社となっています。

 

以上の二つのエピソードもあり、「金崎宮」は、「難関突破と恋の宮」や「金が咲き守」「難関突破守・勝守」等を謳い文句にして、前述した「麒麟がくる」ブームに乗っかっただけでなく様々な集客策もあって賑わいが図れているのかもしれないな、と思いました。

 

「金崎宮」の案内チラシ

 

さて、「金ヶ崎城」への登城は、「敦賀レンガ倉庫群」の脇を東側へ少し進み現在休線の路線を渡った所にある駐車場に停車しました。

 

大正7年築でレンガ造りの「敦賀港駅ランプ小屋」の脇を通り、かなり急坂を登って行きます。途中左手を見下ろすと、「レンガ倉庫群」を始め、「麒麟がくる」でも紹介されていた「手筒山(てづつやま)」が一望できました。

 

「敦賀港駅ランプ小屋」

「敦賀レンガ倉庫群」などの市街地

「手筒山城」跡がある「手筒山」

 

この急坂正面の階段を上がると「金崎宮」が目の前に見えます。そして「金ヶ崎城」はこの境内を含む海抜86mの岩山全体で構成され、お城は南北朝時代の様相が残っているようでしたので、地図に見える「月見御殿」「一の城戸(きど)」~「三の城戸」跡などを順番に巡ることにしました。

 

「金ヶ崎案内」

「金崎宮」の鳥居と拝殿

 

「金崎宮」の西側には、「金ヶ崎城」碑が立ち、そこから「花換(はながえ)の道」を進みますと「鴎(かもめ)ケ崎」というかつては海中に突き出た風光明媚な尾崎があった場所ですが、現在は特に展望台的になっているだけです。

 

「金ヶ崎城」跡碑

「金ヶ崎城」跡絵図(「金崎宮」の案内チラシより)

「鴎(かもめ)ケ崎」

 

そこから急な階段を登り、右手に「尊良親王墓所見込地」を通って突き当りを左に出た少し平らになった場所が「本丸」跡です。そこには、「金崎古戦場」碑が立っていましたが、これが「新田義貞」や両親王達が「高師泰」軍と戦った古戦場跡なのか、「織田信長」軍と「朝倉義景」軍との戦いの古戦場跡なのか判からずじまいで、今なおわかっていません。

 

「金崎古戦場」碑

 

その奥の少し高台には「月見御殿」碑も立つ「月見御殿」跡になり、そこからの若狭湾の見晴らしは非常に美しいですが、少し右手には巨大な「敦賀セメント」工場が建ちます。

 

「本丸」跡から「月見御殿」跡への階段

「月見御殿」跡から見る「若狭湾」

「月見御殿」跡から見る「敦賀セメント工場」

 

再び「本丸」跡内の碑の前を真っすぐ下っていくと、まず「三の城戸(きど)」跡に着きますが、この辺りは湧水がある「水の手」になっていました。道を進むと次にあるのが「二の城戸」跡で、丁度この辺りは激戦地になったようです。

 

「月見御殿」跡から「本丸」跡へ降りる

「三の城戸(きど)」跡手前

「三の城戸(きど)」跡

「三の城戸(きど)」跡付近の堀切

 

そして「二の城戸」跡と「三の城戸」跡との中間辺りでは、戦国時代に「朝倉家」の「兵糧庫」があった米蔵等の倉庫があって、「織田信長」軍との戦いで焼け落ちて、その「焼米石」が出土し「焼米石出土地」跡碑が立っています。

 

「焼米石出土地」跡碑

 

「二の城戸」跡は三叉路となっていて、少し真っすぐ進んだ所は「一の城戸」跡になっていて、城内への入城の第一関門となっていた所です。周囲には、竪堀のような堀が見られました。

 

「二の城戸」跡

「一の城戸」跡

「竪堀」

 

私は、「二の城戸」跡まで戻り、一気に「金崎宮」鳥居横まで降りてきました。

 

ここから、いよいよ最後の「敦賀市街地」内にある「敦賀城」跡へ向かいます。次回ブログで「敦賀城」跡をお届けします。

 

 

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