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もんく [マレーシアで働いて13年→2022猫を連れて日本]

支持を集めようと言う動機は

Twitterなどを読んでいるとけっこう強く意見を言う人が多い。何でそんなに力んでるの?、と言いたくなるよなのもある。(別に悪いとは思わない。)

それで、全体として感じるのは、皆さん、意見を言う(書く)事によってemotional-confort(感情的心地良さ)を得ているのだなと感じる。もちろん、表現したい欲求があってやっているのだからそれはそれで当たり前と言えばそうなのだけれど。

でも、その欲求に対する満足の仕方がどうなんだろうな?、とも感じる。いくつかパターンはあるのだろうけれど、分析しているわけではないから全部こうだとは言わない。

1つには知識の披露と言うのがある。これはけっこう普通。自分だけ知ってるとか、気付いてるとか。ちょっと自慢なんかも混じって、健康的とも言える。誰にもそう言う欲求てのはあるから。

何か言って支持を集めようと言うのがちょっとな?と思わないでもない。集めてどうするのかわからないけど、これも基本的な人間としての欲求なのかも知れない。言うのは本人の自由だけど、支持集めてたいのが先にあって、その中身が後からってのも多そう。

なぜって、本人が気付いてるかどうかは別として、支持されたいのが先だと、支持されやすい意見とか、反対されない安全な意見とかを無意識に選んでいるかも知れないから。そう言うツイートってかなり実はあるように感じている。

例えば、首相批判。これ政治の事なんて何も知らなくても災害の時に宴会やってた、こんなヤツは首相の器じゃないとか言えばある割合で支持されるるに決まっている。言わば、分かりきっていて世間でもう方向性が決まっているような事を自分の意見として選んでもっと大袈裟に書けば良い。ネタはいくらでもある。税金の無駄遣い (もともと税金って撒く為の物なんだけど) 官僚批判、日本の在り方批判、年金問題、原発問題。

こう言う事を多分無意識にやっているんじゃないかと思う。支持はたくさん集まってもどこにも目新しい事も視点もないのが結果。

実は素人はが書くツイートばかりじゃなくて、これを最も巧妙にやってるのは政治家だ。政敵以外は誰も反対しないような事を選んで言ったりしている。そう言う人達でも求めるのはemotional-confortなのだと思う。

つまり、日本人って、これが教育の成果なのかわからないが、相手の懐に入って支持されたいってのが全ての原動力なのだと考えられる。って事はそんな事しているうちは議論なんて出来ないんだろうし、議論の末の結論と言うのも無いだろう。実際、無いようだけれど。いつまで経っても結局多数決で何かを決めるしか方法は無さそう。

例え政治家を批判しても周りでこうしてツイートなんかしている素人までこうだと結局これからもずっと変わらず同じなのだろうなあ。
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