歯医者さんに行ったら
食いしばりで前歯が
欠けていると分かり治療開始。
マウスピースは次回になりました。
 
膝が伸びないまま通院したのですが、
顎関節症で口があまり開かず
治療の振動で背骨が痛くなりました。
 
背骨に始まり
全身の骨が痛いとしか
言いようのない悶絶な痛み。
 
あっという間に痺れと感覚麻痺になり、
下半身が完全脱力。
 
診察台の椅子から
少しズリ落ちて動けるまで待って貰いました。
 
治療中に激痛で過呼吸やパニック発作も出て、
リラックスしようと思い出を探し〜の。
 
歯型を取りながら息苦しいのに、
とある思い出がよぎり笑いたくなるという
私の脳みそ(笑) 
 
 
朝から父が抗がん剤治療の点滴中なので
(大腸がんのステージ4です)
父の事を考えた結果がこちら。
 
祖母のお通夜の時に
お坊さんが私にこう言った。
 
「お墓におふだを2つ作らないと
おばぁちゃんが成仏しません!
2つで12万円!」
 
 
「そんなのいらない!」
当時26歳の私の即答(笑)
 
「じゃあ2つで8万円!」
…食い下がるお坊さん(笑)
 
「うさんくさい!いらない!」
…ふてぶてしい20代の私(笑)
横で従弟が恐れおののいていた。
 
 
すると父がお坊さんに
堂々とこう言ったのだ。
 
「私がお経をあげます!
安心してお帰り下さい!
 
「はぁ!?」
…お坊さんと一部親戚の雄叫び(笑)
 
 
父はお葬式で堂々と祖母の
宗教のお経を唱えた。
まるでお坊さんのようだった。
 
 
私は悲しみの頂点でもあったのだが
初めての事であり
内心木魚がなくて良かった?と思っていた。
 
「チーン!!」
…ええっ!?それはあったんかい!
泣きながら動揺。
大阪育ちの明るい祖母も同じ事を
考えていそうだとも思った。
 
 
祖母(母方の)は父が大好きだった。
大好きな父にみとられた。
だからきっと嬉しかったのだと思う。
 
それが切欠だとは思うのだが
我が父は、自分の両親のお葬式でも
お坊さん顔負けに拝んでいた。
その時にはどう手配したのか木魚もあった。
 
「あのお坊さんどこの人?」
と聞かれた事もあったが
喪主をしながら拝む父に愛を感じる。
 
と、ここまで考えていたら
私は歯医者さんで
「何の話の続きでしたっけ?」
 
「動けるようになるまで待っている所ですよ」
…いつの間にか考えすぎ(笑)
 
それから駐車場まで歩くのが大変。
久しぶりに車いすが欲しくなりました。
 
何とか車に乗りこみ暖房をかけました。
代行で帰るかとも考えたのですが
動けるようになるまで待って
5回休憩しながら運転して何とか帰宅しました。
 
今年で1番、
大変な歯科口腔外科の通院でした。
 
来週は大学病院の歯科口腔外科で
唾液検査のために唇の細胞を切る検査があり
片道3時間以上(高速は1時間半位)
これは大変な事になったと思っています。
 
 
ではまだしばらくゆっくり休みたいと思います。
 
朝からリリカを飲んでいません。
リリカが脱力に効くのか忘れてしまったのと
副作用の吐き気やめまいが困るからです。
 
 
パパさん抗がん剤治療がんばって!!