作 ジョセフ・L・マンキウィッツ
演出 イヴォ・ヴァン・ホーヴェ
マーゴ ジリアン・アンダーソン
イヴ リリー・ジェイムズ
2019年4月にノエル・カワード劇場で上演された芝居の映画館上映。関係ないけど、この劇場はキャパ872と決して大きくないんだけど、客席が4階まであるって、すごいですねー😮 ストプレで、ですよ。
ストーリーはほぼ映画版と同じで、演劇界の頂点に立つ大女優マーゴが、スターの座を狙う若い女性イヴに蹴落とされる話です💀 プライドと老いへの恐怖がせめぎ合い感情が不安定なマーゴ。野心と狡知でマーゴをジリジリと崖っぷちへ追いやるイヴ。最後、第一線を退いて恋人との結婚を選んだマーゴに対し、演劇賞のトロフィーを手にしたイヴが勝者のように見えるけど、そのイヴも、嘘で固めた人生譚のほころびを掴んだ劇評家に手綱を握られ、栄光を手にした者が見る暗い現実を目の当たりにして終わります(かつての自分のような「役者志望の熱狂的ファン」に付きまとわれるという、マーゴと同じ道が😱)。
演出が、大好きなイヴォ・ヴァン・ホーヴェ(ベルギー人)というのに惹かれて観にいきました。舞台は主として、女優マーゴの楽屋や、自宅の居間や寝室で、スタッフが家具を移動してシーン転換するんだけど、各部屋がシームレスに繋がっているように見え、マーゴの世界が広がっている感じ。ヴァン・ホーヴェの舞台空間の作り方、やっぱり好きだなー😊
今回、演出で際立っていたのは映像の使い方。舞台正面後方の上部1/3ほどがスクリーンになっていて、そこに様々な映像が映されるんだけど、事前に用意した映像ではなく、舞台上では見えない「今」をリアルタイムで映すんですね。
例えば鏡の中の自分。客席に背中を向けて鏡の前に座ったマーゴの、鏡に映った顔がスクリーンにアップになる。びっくりなのは、その顔が加工されていくことです。表向きは平常心を装っていても、鏡の中の顔は不安に囚われて虚ろな表情になっていくとか、イヴの若さに嫉妬した後に鏡を覗くと、その顔にシワやタルミが現れみるみるうちに老け顔になっていくとか😓 一方、栄光を手にしたイヴが鏡を見ると、その顔がマーゴの顔に変わっていくし、イヴの追っかけで最後に登場する役者志望の子が鏡に座ると、地味だった顔が垢抜けた女優の美しさをまとって輝く。その人の深層にあるものをヴィジュアル化する映像の使い方はとても新鮮でした。
舞台からは見えない別室(バスルームとか友人宅とか)での様子を撮影してスクリーンに映すという演出もありました。それをドア越しに撮影しているカメラマン(スタッフ)が丸見えなのがドキュメンタリーっぽく、表舞台にいる人は知らないままに、観客は他の登場人物のあからさまな姿を垣間見ている気分になる。
こうした、目に見えない部分を暴露する=映像が真実をさらけ出すという演出は既存でしょうけど、スタイリッシュなところがヴァン・ホーヴェなんですよね👍
演技面では、人物が感情を吐露して情念やあがきや欲望といった内面をむき出しにする見せ方は流石にうまくて、セリフに惹き込まれます。閉ざされた空間で人と人が衝突し、彼らの感情が出口を探っているように空間が熱を帯びていく🔥 緊張が頂点に達する瞬間が2度、3度襲ってきます。
大女優とその前に立ちはだかる若い女性という図式のほか、演出家、劇作家、劇評家という、それぞれ異なる思惑を抱えた3人の男性の絡み具合も程よくて、2人の女性の関係が次第に逆転していくスリリングな展開と、3人の男性の本心が少しずつ露わになっていく、その関係性も面白かった。
マーゴを演じたジリアンは、(以下は個人の感想、個人の好みの問題です💦)大女優としてのオーラや圧倒的なカリスマ性があまり感じられないのが残念で🙇♀️ もったいぶった気だるそうな喋り方や態度もあまり好きになれなかったな😓 本当はケイト・ブランシェットが配役されてたのがスケジュールの都合で降板したらしくて、ウ〜ム……😑 でも、自分の地位が揺らいでいくことの恐れや苦悩を見事に見せていたし、友人のカレンに本心を吐露するシーンでは共感を覚えました。
イヴ役のリリー・ジェイムズは登場時から胸に一物ありそうな表情や仕草で、地味にしていても美しいというのもあって、それが却って面白かった。「マーゴに取って代わる」という本心を見せていく過程で、ちょっとした瞬間に見せる鋭い目線や燦きに狡猾さが覗くんだけど、落ち着かない動きや熱っぽいセリフ回しなどから、情緒不安定症か何か、精神的な問題を抱えているようにも感じてしまった😬
男性陣では最後にイヴの手綱を握る劇評家のドゥウィット氏ですね。彼は冒頭から何か胡散臭げだったし、最後に牙をむき出した時のパワハラぶりがホント怖かったー😵この物語は現代の話として観てはいけないですね、フェミニストから非難浴びそう💥