原作 三遊亭円朝/脚本 大西信行/演出 戌井市郎
仁左衛門/玉三郎/錦之助/吉弥/愛之助/七之助/二代目吉之丞/三津五郎
2007年の公演の上映。懐かしかった〜😊 怪談話となっているけど、この大西信行版は、新三郎(愛之助)とお露(七之助)/伴蔵(仁左さま)とお峰(玉さま)/源次郎(錦之助)とお国(吉弥)という3組の男女に焦点を当て、文学座のために書き下ろしたもの。
前半は怪談味があるけど、後半は夫婦の愛憎や人間の欲、業の深さを描いた近代劇風です。セリフはかなり口語に近いし。また、原作者である三遊亭円朝(三津五郎)が舞台に登場し、高座で「牡丹燈籠」を噺すという形をとっているのも特徴。
仁左玉の夫婦模様は別格だった〜💕 特にこういう、市井に生きる夫婦の自然なやりとりは絶品ですね。前半、幽霊に百両もらってお札を剥がすまでの、貧しくても幸せそうな、コミカルで微笑ましいやりとり。大根の束をぶら下げて帰ってくる仁左さまの愛嬌😆 小心だけど欲に目がくらむワルぶり。玉さま、幽霊の話を聞いてキャーッとなり、すぐに「その後どうしたって?」となる見事なテンポ。そして、小判を数える例の「ちゅうちゅうたこかいな」🤣 手の反りとセットでしばらく耳から離れないですね。
後半は、裕福になったのに夫婦間に隙間風が吹き、悲劇へ一直線。大喧嘩ドラマは圧巻で、罵ったり開き直ったり甘えたりエロティックだったり、仁左さまDV帯びてドスの利いた声で凄み見せるし😍 夫の浮気を知った玉さんの嫌味ったらしい言い草がうまくて、逆上して仁左さまを問い詰めるところはハイライトかな。
貧しい時の方が幸せだったというのがね……😢 当時の筋書きを見ると玉さんは「人の心とその綾がよく描かれている。お峰にはいじらしさがあり、ちょっとした瞬間に魔がさす怖さもある。怪談は人の心にあるということ」と。仁左さまも「人間の恐ろしさ、滑稽さが巧みに描かれた作品。本人が必死であればあるほど客観的に見ると可笑しいものです」と(大意です)。
そして何と言っても、二代目吉之丞のお米がもう本当の幽霊だということですね😄 化粧が不気味で立ち姿が……背中、腰、ヒザという身体の曲がり具合もなんだけど、絶妙な角度でのヒョロリとした手の垂れ方と宙を3センチ浮いているとしか思えない滑るような歩きにいちばんゾッとした😱 身体の向こうが透けて見えるようで、存在があるようで消えている。笑いを誘うセリフをサラッと言ったりするのも怖いです💀
愛之助、このころはまだシュッとした涼しげないい男ですね。七之助はこのとき20代前半で、綺麗だけどさすがに身体がまだ硬い感じだった💦
錦之助が悪事を働くんだけど、ワルになりきれない小心者で、落ちぶれていく姿がやっぱり似合っている😬 なぜか片足を怪我して引きずるお役が多いような。吉弥は大好きな役者さん。はんなりとした美しさと色気、恋人をそそのかす悪女の凄みがあってよかったな👏
高座に現れる三津五郎がとても懐かしかったです。その三津五郎は馬子も演じていて、これがまた最高でした👍 玉さんとのやりとりがもうねー😆 伴蔵の浮気の話を調子に乗ってベラッベラしゃべるときの、訛りの入ったセリフのリズムが異常に可笑しくて、それを聞いて嫉妬の炎を密かに燃え上がらせる玉さんの座った目がまた怖い〜🌀
最後、幸手堤で、勢いでお峰を斬り殺した伴蔵がハッと後悔し、お峰を搔き抱いて名前を呼び続けるところで幕。そこまでの殺しの様式美を堪能できて眼福だけど、お話としては物足りないです😔 ここはやはり連理引きで、殺されたお峰の亡霊が伴蔵を呼び戻して水の中にズブズブと引きずり込む、そこに無数の蛍がどこからともなく現れる幕切れ、というのを誰も期待するんじゃない?🙄 演出の戌井市郎は「歌舞伎だから、美しさが心に残る舞台にした」のかもだけど、歌舞伎には南北の世界というのもあるわけで……😤