信濃遠征の続きです。

 

信濃国一之宮 諏訪大社へまいりました。

 

諏訪大社といえば、かの武田信玄からの崇敬も強く、戦時には「南無諏訪南宮法性上下大明神」の旗印を先頭に諏訪法性兜をかぶって出陣してたのは有名である。

 

高島城から諏訪大社を検索すると、はぁはてなマーク 諏訪大社て諏訪湖の上と下に上社、下社と四社もあるではないか!? 知らんかった。

 

諏訪大社に関しては公式サイトの → こちら を御照覧あれ。

 

 

とりあえず、高島城から一番近かった下社秋宮へ来ました。近くに温泉もあったし。

 

下社は秋宮、春宮からなり、諏訪湖北岸、諏訪盆地の北遠にあり、上社に対しては下流の位置にあたります。

 

 

まず、駐車場横のだだっ広い駐車場(たぶん臨時駐車場とかかな)から諏訪湖の景色を眺めようとそちらへまいれば・・・

 

偶然にもここが城跡!? 城の名も初めて、そして木曽義仲は存じているものの手塚別当光盛なる武将も初めて知りました。

 

労せず1城稼げた。

 

霞ヶ城 撮れたど~ビックリマークにひひ

 

説明板にある感動的な伝記は、

列伝先生の信州往来もののふ列伝 → こちら にてお楽しみください。

 

 

手塚別当光盛騎馬像。またもや銅像の逆光攻撃あせる いつものように後ろから撮る。

 

 

駐車場からの眺望。諏訪湖の対岸に先程の高島城天守が・・・見えるけどめっちゃ小さいです。

 

 

 

お参りします。

 

 

手水は一風変わった龍。あっつぅビックリマークお湯!? 温泉はてなマーク

 

 

神楽殿 天保6年(1835)(重文) 

 

勇ましい狛犬は日本最大といわれてるそうです。注連縄もなかなかデカい。

 

 

幣拝殿 安永10年(1781)(重文)
幣殿と拝殿が一体となった二重楼門造りで、左右に片拝殿(重文)が並ぶ。

 

 

お参りの記しにといつもの如く御朱印をいただくと、南斗四社参って御朱印四ついただくと、四社参拝記念ご褒美ビックリマークがもらえるとなクラッカーなんじゃろか~にひひ

 

この期を逃す手はあるまいて。

 

下社春宮はこの近く。

 

飛んでけ~

 

 

 

 

下社春宮 神楽殿 天和年間(1681-1684)

 

 

幣拝殿(重文)
安永9年(1780)落成。幣殿と拝殿が一体となった二重楼門造りで、左右に片拝殿(重文)が並ぶ。春宮と秋宮の社殿の構造・配置が大きさこそ違うものの全く同じ「対の宮」になってるそうです。

 

細部の彫刻は二つの流派の宮大工によって技が競われたとな。

 

 

 

諏訪大社には本殿がありません。代りに秋宮は一位の木(御柱)を春宮は杉の木御神木とし、上社は御山を御神体として拝しておりますとな。

 

御柱(おんばしら)は四社それぞれ境内に時計回りに4本のモミの柱が配置されています。なんで御柱が立ってるかというと、諸説さまざまあり解明はされてないようです。意外と社殿建替え用の予備の木である説だったりしてべーっだ! それにしても7年に1度の超過激な御柱祭りは有名ですね。

高島城の記事でも書きましたが、諏訪地方には大小さまざまな神社仏閣では御柱がそそり立っているようです。

 

春宮へ参って見逃せないものがあります。

 

 

春宮から歩いて数分。

 

 

 

 

万治の石仏(まんじのせきぶつ) 

けっして拷問にかかったまま石になった人ではありません。

 

万治3年に造られたから万治の石仏。

 

 

逆光ではないが後ろから撮る。けっして杉谷善住坊ではありませんあせる

 

珍景であった。

 

 

春宮の鳥居前の参道にある下馬橋。道路の真ん中にデーンビックリマークとあります。

 

 

下馬橋の説明板。

 

 

殿さんでも駕籠や馬から降りて渡らなあかんようで、現在も遷座祭において神輿のみが渡る。現在は殿さんいないので、神輿しか渡れないということになる。

 

 

御朱印四つはその日の内にやなくても良いそうなので、諏訪湖の南にある上社は次の日に参ることにいたします。

 

信濃遠征の1日目の工程が終わった。

 

充実した長い1日であった。

 

温泉入って飯食って寝るとこ探します。

 

 

 

信濃遠征2日目は上社から・・・

 

 

つづく。

 

 

19/08/10

 

 

 


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