御城印のある城が多くなってきてる(にひゃくよんじゅう城くらいはあるか)
あれば攻め撮った褒美にと拝領いたすようにはしてるが、既に攻め撮った城もばんばん出てきてる。
ズルいな。
2019年最後の城攻めは備前(岡山県南東部。通称・備州)へ。
岡山県和気郡和気町田土
備前・天神山城(てんじんやまじょう)
天神山城の前に天神山城の古城であり、天神山城を築城すると、その出城または物見台として利用した太鼓丸城(太鼓の丸)から攻めます。
太鼓丸城は天神山東峰(409m)の山頂に築かれ、その西峰(390m)に天神山城が築かれていて、天神山城から太鼓丸城までは1kmにも及ぶ大規模な城郭です。
天神山城へは北側山麓の侍屋敷跡を経由して登城道を徒歩で上がって行く方法と、反対側の「和気美しい森」経由で尾根道伝いに行く方法があります。美しい森からなら鉄馬車にて楽ちんちんと上まで上がって来れ、太鼓丸を攻め撮ってから天神山城へ攻め入る事ができます。
こちら和風な管理棟。ここでパンフなどが入手デキます。宿泊施設にもなってるようで、受付にいた女性の方が「今度是非泊りに来てください」と推された。いちおうハイハイと答えておいたが・・・来ないだろう
バーベキューの支度をしている家族連れ足軽を横目にキャンプエリアを通り抜けると案内板と石碑があり、城エリアへ突入します。
分かりやすい地図があります。御覧の如く山上の尾根道に曲輪と門を配して築かれた山城です。太鼓丸城まではアップダウンもほとんどなく平坦です。太鼓丸城までは・・・
いつもの山城の如く防獣柵を開けて入って行く。
そしてこの先は楽しくて時々恐怖の結界なのである
いきなり出た~ 土塁。 土塁は藪の中
平坦でごっつ歩きやすい。今のところは・・・
根小屋。郭でしょうが、 ご覧の様に無整備状態。
余り整備されてるとは言えませんが、そこそこ歩きやすい。今は・・・
また土塁の看板がありますが、良く分からず。歩いてるとこが土塁のようなんですが。
あまり整備はなされてないようです(二度目)
堀切 う~ん 道が少々窪んで両脇が堀状になり道は土橋になってるといえるかどうか?なレベル。ただ、看板はデカくて目立つ。
斜面側はビミョー
看板は目立つが肝心な郭は藪の中。
看板なかったら立ち止まらんで 微かに窪んでるレベル。
堀切から竪堀が落ちてる感じはします。
横堀でしょうか?(看板なし)
ややもすると石がゴロゴロと。これより巨石のエリアへと突入デス。
石門の看板。
巨石で成る虎口。こんなデカい石とても動かせそうもないので、自然配置なんでしょうね。
攻め手にはそこそこ威圧感あるかと。
軍用石て、どう活用したのじゃ 投石用の小石なら良くあるが、これはとても投げれない。投げられなけれは転がせば良い。子菓子!いざ転がすとなっても動かせんやろね。駄菓子!転がって来たら敵は即死圧死
石碑にもなる軍用石 おそらく太鼓丸はこれといった見所が少ないので軍用石推しかも
巨石エリアを抜けるとモリモリっとした、これは櫓台の土塁でしょうか
おおっ!これぞ正しく人工的な石積っ 石組みで形成された虎口です。
うひょ~ 割石を積んでますね。
狭い虎口に、その先は石段になっています。
石段をアップで。
上がった所、天神山の最高所。太鼓の丸(太鼓丸城)
太鼓の丸の説明板。名前の一部が消えてますが、浦上家を相続した兄・正宗と反りが合わずに別家体制を取り、毛利と手を結んで正宗・尼子氏に対抗し、正宗の勢力を備前国から駆逐するが、やがて正宗と和睦し備前、美作の一部に勢力を広める。その後播磨の赤松氏、宇喜多氏との攻防を繰り返す浦上宗景と書かれてます。
備前・太鼓丸城(太鼓の丸) 撮ったど~
主郭は城としては狭く、砦としてはそこそこであり、物見台としては十分である。地図には狼煙台とも書かれてます。
総延長1kmの山城。天神山城本丸までは0,7km(略して・700m)ある。
それに・・・
バイザーキャップていうんですか? それを忘れないようにしましょう。
蹴ったら倒れたうそです。劣化して倒れたんすか 誰か立て直してくだされ~
倒れてるのは天神山城全体の地図。現在は右の山の太鼓丸山頂にいます。先にある谷(大堀切)が気になる。
太鼓丸の巨石の上にて眺める眺望。
更に先にある天神山城を目指します。
この先、とんでもない道が待ち構えているのであった。
天神山城へ続く。
19/12/14