明智光秀生誕の地として盛り上っている城跡

今年は大河ドラマの影響でひときわ注目を浴びてるのではなかろうか。

 

岐阜県可児市瀬田長山

美濃・明智城。 別名長山城、明智長山城

 

恵那・明知城可児・明智城とややこしいが、恵那は明知遠山氏の城で可児は土岐明智氏の城です。

 

十兵衛光秀の出生に関しては明知城(白鷹城)の項で述べた通り。それぞれ生誕地として盛り上るも、それはそれでよろしいかと。

 

この大手口の左横に駐車場があるのですが、今年は大河人気でマイ鉄馬車での混乱を見越しての駐車場は閉鎖?少し離れた花フェスタ記念公園駐車場を本陣にせよのこと。仕方がないので大手口まで徒歩にて行軍(15分くらい)。じみに歩いてこの遠征でいちばん疲れたあせる 大手口横の駐車場では係の足軽がパンフの配布、御城印も販売。 

因みに、花フェスタでは大河ドラマ館してましたが、入城せず。

 

大河ドラマでは弘治2年(1556)十兵衛の祖父・西村明智光安が城主のとき、斎藤義龍に攻められ十兵衛は城を脱出、光安は自害し明智城は落城。城はそのまま廃城となったようです。

 

標高178m、比高80mの連格式山城。右上の現在地である大手口から攻城開始。この縄張図、東出丸曲輪(一ノ曲輪)、本丸曲輪(三ノ曲輪)という風に別曲輪名がカッコで表記されてるはてなマーク

 

登城道は石畳が敷かれ整備されてます。

 

 

大手門跡に模擬冠木門。左手に階段が見える。地図に大手曲輪とあるのでまずそちらへ。

 

 

大手曲輪虎口?にビックリマーク 

 

 

この先には展望台あるんですが、仲良く陣取られてる方がいたので写真なし。

 

 

登城道を進みます。

 

 

登城道横に切岸。上は中ノ曲輪(ニノ曲輪)。

 

 

登城道を登り切ると右側に先程の切岸上の中ノ曲輪(ニノ曲輪)があります。

 

 

中ノ丸とも呼ぶらしい。

 

 

東出丸曲輪となってる場所は配水池で攻略できず。絵図には(一ノ曲輪)となっているのは、往時はこの東出丸が本丸、さっきの中ノ丸がニノ曲輪であったのではなかろうか。おそらく本丸に配水施設があっては観光的にも本丸がこれでは問題あるので絵図のように曲輪名を配置替えしたんちゃいますか?

 

ニノ丸曲輪。建物は厠。その向こうに休憩所。

 

 

七ッ塚という義龍の軍勢に攻められ戦死した将を祀ってるという。後ろの石組みの丸いやつね。七ッあるか数えてない。

 

光秀家臣でのお馴染みの名、 溝尾庄兵衛、三宅弥平治(明智秀満)、藤田伝吾、肥田帯刀、可児才蔵(光秀家臣だったかどうかは不明) らの縁者であろうか?

 

二ノ丸曲輪から本丸曲輪(三ノ曲輪)まで傾斜している。両側のわずかな盛り上がりは土塁跡かな。

 

美濃・明智城 撮ってもたど~ビックリマーク

 

 

美濃・明智城 撮ったったど~ビックリマーク

 

 

美濃・明智城 とっちゃったど~ビックリマーク ひとつでええのに

 

この時はまだなかったけど、最近光秀像も建ったらしい。明智城がんばっとるの~

 

 

本丸曲輪の南に馬場跡

 

 

馬場の先に馬防柵。ただこの柵の外側はごっつ斜面でとても馬では上がってこれそうにない。往時からごっつ斜面だったかは不明ですが。

 

西出丸跡。ここも傾斜になっている。なんで平地にしなんだか?こんなに斜めってると建物も建てられないし、寝っころびもできないのでははてなマーク

 

出丸の先っぽ。

 

 

本丸曲輪にこさえられた展望台。足軽が途切れることがなかったので、辛抱できずに撮る。

 

 

展望台から望めるのは、かつて明知荘という荘園が存在してた地域。正面の頂上が平たい山の右横が美濃・金山城である。

 

搦手道が切岸の崩壊で廃道にされ、令和元年に遊歩道が整備され「十兵衛坂」と名付けられたそうです。

 

谷底へ向かう十兵衛坂。途中に台所曲輪があるがどの辺か分からんかった。見逃したか?

 

 

十兵衛坂を下りきった場所、旧道かな?に柵があり入れない向こうに石碑が見える。裏面しか見えんが、建立1997年と刻まれてる。水の手曲輪辺りにいるので水の手曲輪の石碑やろな。

 

水の手曲輪にある水の手跡。なんとなくジメ~としてる。

 

 

上にある乾曲輪から水の手曲輪へ落ちている竪堀。2本ある?

 

 

竪堀を上から見てみた。

 

 

水の手曲輪から再び上がり乾曲輪

 

 

乾曲輪にあるビックリマークが祀られた祠。詳細は説明板をご覧ください。

 

 

 

 

乾曲輪の先端にある見張台跡

 

 

搦手門跡を通り明智長山城を後にする。門跡らしさはない。

 

西村明智光安がここで死に、全体に整備され訪れる足軽も大勢な、十兵衛光秀がいたのかも知れない明智長山城。

 

特に見所はない城跡であった。

 

 

近くにある天龍寺に寄りました。

 

 

天龍寺にある明智一族墓所

 

一休さん 南無

 

 

 

 

 

20/03/12

 

 


お城・史跡ランキング