3月の美濃攻め(三河1城)、大取りの城となりますは、ほっこりゆる~い城跡となりました。
岐阜県加茂郡八百津町
美濃・和知城(わちじょう) 別名;稲葉城
現地説明板をお読みください。築城者の稲葉右近方道というのは美濃三人衆の1人である稲葉一鉄(良道)の四男です。明智光秀の筆頭家老になる斎藤利三は稲葉一鉄の元家臣で、頑固者の一鉄とそりが合わずに出奔し光秀を頼って家臣になるんですね。一鉄は激おこプンプンして信長にも訴えたりしてるし。それに一鉄て確か伊勢長島攻めで織田家内で島津ばりの「捨てかまり」の戦法を用いた武将ちゃいましたけ? まぁここはその一鉄の四男の城で、親父のことはええんですけどね。
現在和知城跡は「稲葉城公園」として整備され、この縄張図のように原型はまったく留めていず、よくある市民の憩いの場となっちまってます。
門や土塀を復元し雰囲気作りにはガンバってます。
門を潜った所にあるのは集会所かな?資料館ではなかった。
橋を渡って公園内へ。
橋の下にはズッドーンと、巨大空堀。
往時も木橋が架かってたと思われます。
なんじゃこりゃ~ そんなこと言わんといてください。古びた感が少々味があるけったいな天守風展望台デス。
稲葉氏の家紋である折敷に三文字 が見える。けど一鉄さんもこれを見たら驚くやろな。
本丸跡であろうふつうの広場となっている公園内では足軽の家族連れが多々遊びちうなので全体は写さず。
展望台に登るのはこっぱずかしかったけど登ってみました。どれかが美濃・金山城のはず。
木曽川
なんじゃこりゃ~ 公園をこさえた人の発想力に敬服。
井戸跡が残ります。
土塁上に石が、並べられてる。顕彰碑のようです。
お読みください。
土塁の部分に石垣 積み直されてるのは確実ですが、ほんまにこの部分に石垣が組まれてたかどうかは不明。
空堀へ下りてみた。小石がゴロゴロしてるが、天然の石かな。
石っが覗いてる。
石っが組まれてる はたして空堀内の石っは何者なのか 城とは関係ないものと思われるが、いちおう喜んでおきました。
すっかり公園になってしもてる和知城。遺構としては巨大な空堀、土塁、井戸跡というとこでしょうか。改変されてもた城跡も天守風な展望台に兜型のおもろい遊具があり、民に慕われてる姿が見えますか?一鉄さんの息子さん。右近やったかな
美濃攻めの最期に相応しい?和知城でした
今回の美濃攻めの褒美 登城記念符(通称・御城印) 金山城は今回攻めてませんが、以前に攻めたので、「可児市戦国山城ミュージアム」に立ち寄りいただきました。
熱中症とコロナには気を付けましょう。
ほなまた。
20/03/21