長い激しい梅雨が明け、本格的な真夏到来。それも灼熱の激熱な夏
そんな日に山城攻めしました。
この城はちょいちょいと攻められる規模でまだよかったが・・・
岡山県美作市粟井中
美作・淡相城 (あわいじょう) 別名;粟井中村城、粟井城、中村城
淡相城は美作の菅氏の士族である粟井氏の居城であったと伝わる。粟井氏は守護赤松氏に従っていたが、赤松氏と浦上家の抗争が激化すると浦上家に従うようになる。浦上家が滅亡すると今度は宇喜多氏に仕えました。慶長5年(1600)宇喜多氏が滅びると粟井氏(三郎兵衛)は浪人し因幡国にて病没したようです。宇喜多氏強し!
尚、某サイトでは天正7年(1579)宇喜多直家によって攻められ落城しました。とある。どれがほんまか分からんが、遺構は素晴らしい城跡デス。デスデスデス!
作東町指定民族文化財「栗井春日歌舞伎」という農村歌舞伎の舞台小屋というんでしょうか、立派な建物の駐車場を本陣とし、攻め込むことができます。誰もいなかったので無断で本陣にしましたが。
いちおう春日神社の前にも本陣スペースはあります。
歌舞伎小屋から春日神社の方向へ進軍。城址の字体がちょっと恐怖
春日神社の裏手の丘陵(200m)が城址になります。
興味ある方はお読みください。
淡相城の説明が少々書いてある。築城完成は長和3年(1015?)2月。本丸、東の丸などの跡地が現存している。当時の御社は現在地よりも裏山の少し高い所に在った。室町時代の乱世により、春日神社も栗井城と共に戦火にまみれ焼失した。その後文明18年(1486)に将軍・足利義尚の臣 英多郡司・粟井近江守菅原景盛(栗井城主)により現在地に再建されたとある。
拝殿のスゴイ龍の彫刻は火災で焼失したのちの享保21年(1736)再建時のもの。
城址へ乱入する前に春日神社で戦勝祈願。 今日も何事もなく攻略でけますように~
小堀遠州式の石灯籠がありました。岡山県内に二基あるとされるが、修復されてないものはこれ一基のみであるとな。
元弘の乱で京都から脱出したときにここに立寄ったかな? 家康さんのように松の木に腰掛けたのではなくて石に腰掛けたのが良かった。こうしてちゃんと残っている。
春日神社の裏手に淡相城二の丸の表示柱が根元で折れて立てかけてあるのがありました。荒れてますがこの辺りが二の丸かな? ここから登城できそうなので城址へ突入~ クモの巣に引っかかった 因みに、最初の鳥居を潜る前の神社右側から城址へ行く道があり、そこからならクモの巣に引っかからずに城内へ突入することができますわ。
ネバって咲いているアジサイの花道を行く。
間もなく正面に自然地形を使用したらしき土塁が現れます。
尚、最初の城址案内看板意外にパンフ、案内板の類いは一切ありません。縄張図はググってみると見つかりましたが、敢えて載せません。
城は大掛かりな縄張りではなく丘陵にこさえた居住空間というような感じな城だと思います。駄菓子菓子 なかなか感動的な遺構が見れます。
正面に出て来た土塁上を左に行くと先端に祠がありましたが神さんはお出かけ中なのか留守でした。
土塁の向う側へ下りると横堀に下りるかたちとなり画像左側は城塁。この横堀内にあるのは貯水池?馬洗い池?単なる水たまり?見た感じ沼のようですが、自然に雨水が溜まっているのでしょうか?
下りて来たとこを振り返ると土橋状になっています。土橋の向うにも横堀が続いており、その土塁上が先ほどの祠があった櫓台らしき場所。
沼の先はドーンと強力なカーブを描く横堀。左側が城内側、右側が前に突破した自然地形を活かした土塁となっています。
圧巻
堀幅は5mくらいあります。
この手前の強力な城塁は主郭北東部の櫓台(?)
土塁上から見る。この屈折感がたまらんね~
主郭への虎口
主郭 居住空間には十分な広さがあります。主郭も土塁も良く整備されてる感じですね。西側には土塁が築かれ、その向こうがさっきの巨大横堀。
美作・淡相城 撮ったったど~
主郭と土塁
主郭の土塁
主郭の土塁
主郭の土塁
土塁から見る主郭。主郭東側は自然地形の谷となり、その向こうに東の城がありますが、藪が酷くて行くのを諦めました。
主郭の土塁から見る西側の横堀と土塁。右方向が沼があった方。
主郭の土塁に虎口(?)らしき凹みがあり道が付いていてここから横堀に下りて行けそう。
堀底に下りた。櫓台(?)の横矢の向うに先程の沼がある。
堀底を南へ歩いて行けばちょっとした空間になっています。
ちょっとした空間を左に折れるとズドーンと堀切。
堀切もなかなか強力。
この時堀切の上から女人の声が
ヤバい!無防備なうえに上からの攻撃には抗しきれないではないか
あの~鹿の駆除の方ですか
あいや~ 違いますけど。
どやら城兵ではなかったようで、攻撃はされなかった。(あたり前や)
それよりも多くの山城はそうですがこの辺にも野生の鹿が出没するんでしょうね。
女人がいる堀切上にも遺構があるのかと、上がってみると、そこは墓地で夫婦らしき方が草刈りしていました。
声を掛けられた女人が語り掛ける。
鹿が罠に掛かっているので鹿の駆除の人かと思いましたのよ。
えっ罠に掛かってる
罠に掛かっていた。
しばらく暴れていたが観念したのか大人しくなった。
背に白い斑点が残るまだ小鹿のようです。♪小鹿のバンビはかわいいな~ って今も歌われてるのかなぁ?
この鹿はどうなるのかと尋ねると、二度と野には戻れぬと・・・
鳥獣害対策のために致し方ないことなのであろう。
けして大規模な城ではなく居館跡な感じな城址ですが、土塁と横堀が大迫力な城址でしたね。
奈良公園では神の使いのカワイイ小鹿も、農村では獣害の対象となることを実感した美作・淡相城でした。
20/0/01