浦上氏、尼子氏、宇喜多氏、毛利氏といった諸勢力による争奪戦の舞台となり、その度に城主が変わり拡張され大規模な山城へと変貌を遂げた城。

 

美作・岩屋城の続きです。

 

見慣れぬ遺構名が御座いますが、まだ出てきませんので気にしないでください。

山城攻めでは前例のない水神様大休憩(10分くらい)で荒れた息を整え(暑さは整はない)先ずは馬場跡を目指します。

 

 

大休憩で整った息もすぐに整わなくなるえーん 3ハァハァ

 

 

藪の中にあるであろう南堀切へは突入する勇気はありませんでしたあせる

 

 

井戸跡にかぶせてある蓋をめくる体力はありませんでしたあせる

 

 

馬場跡の二段ある腰曲輪の下段ですね。

 

 

広い馬場跡への登城道。整備して広くした感じです。

 

 

坂虎口を上がれば馬場跡。左奥は腰曲輪の上段で馬場跡への順路とあります。

 

 

順路は無視して坂を上がり直接馬場跡へ。ちょっとでも歩きとうない

 

 

馬場跡 休憩所がある。もう一回休憩できる音譜 表示柱の根元が倒壊危機!

 

 

土地の人が「馬場跡」と伝えてるということは、往時は「馬場跡」と呼んでたんやろか? 山城でよく馬場跡を目にするが、長細い曲輪を「馬場跡」と名付けられてることが多いね。

 

馬場跡の南端から。鳥居の額束の文字は薄れてますが岩屋山と書かれているようです。

 

 

鳥居の形式は鹿島鳥居か? 因みに社殿は存在しなかった。もしかして休憩所が社殿?それとも山全体が御神体?

 

なかなか絶景。向こうは美作市街地とかもっと向こうが津山市の方面。先程の腰曲輪からの順路やとこの真下から馬場跡へ上がって来るかたちとなる。

登城口まで国道から田園風景の谷間を通って来るのですが、その周囲には天正12年(1584)宇喜多氏が岩屋城を攻めた際の陣城群の標識が点々とありましたね。

 

触覚ピョーン!ベロビョ~ン!のチョウチョ(名は存ぜぬ)が休憩所でベンチを吸うてた。

因みに、家紋でお馴染みの揚羽蝶はチョウチョのこの形状を表している。

因みに、隣に見えるわしのスマホ。現在は地面に落としてケースがスマホを固定しなくなってしもて、スマホケースなしの裸で持ってたんですよ。先日胸ポケットからスルッと落下して地面にスコーン!画面バキバキになってもた笑い泣きあはぁ なんとか機能は支障なし

 

どうでもええ情報でした。

 

 

馬場跡から本丸へ向います。段々と曲輪が二段見えます。その前に小分城跡への矢印が。

 

 

小分城跡は諦めよう。

 

 

曲輪の段差部分。

 

 

本丸の一段下の曲輪。

 

 

北側の眺望は山々。

 

 

階段上れば本丸です。

 

もう登り道はないので安心して進めます。

 

暑いのだけガマン。

 

 

その3へ続いてしまいます。

 

 

 

20/08/01

 

 


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