天正12年(1584)3月、宇喜多秀家の大軍2万が付城を築き岩屋城を攻囲。それに対抗するため城主の中村頼宗は城を拡張し巨大山城へと変貌。
美作・岩屋城の続きです。
馬場跡から本丸へ突入し、二ノ丸跡を突き抜けてウロチョロしながら下り口へと向かいます。
階段上がれば本丸。
階段上がって本丸。
美作・岩屋城 撮ったど~
説明板をお読みください。
本丸から望む馬場跡方面。左下には広さを持つ腰曲輪。
本丸を奥から。木陰で涼しそうに見えますが、相変わらずの激暑です
二ノ丸東側にある落とし雪隠。樹木で見えませんが、ごっつ切岸になっています。毛利方の決死隊が大手口の攻略軍と呼応してここをよじ登り城内に乱入し火を放ったので、堅固なこの城も落城したと伝わる。
名称からして籠城兵は上赤坂城の様に糞尿をぶちまけたのでしょうか💩
本丸南側の腰曲輪。
二ノ丸跡へ向かいます。
本丸東砦跡をクモの巣攻撃に遭いながら進みます
グイーンと下るということは何かありますね。
グイーンと下れば本丸側と二ノ丸側を遮断する堀切。
堀切を上がる。
二ノ丸
各所に案内板があり攻め手に親切な城跡です。
二ノ丸の東側に大堀切跡の看板が。
看板の向うを覗き込めば、深っか
深っかい大堀切。深すぎて全部収まりきらない。
看板のあった方を見上げる。高っか 毛利の決死隊はこんなとこをよじ登ったのか?恐るべし毛利軍!けど、大手口と呼応したようなので、手薄になったところを決死隊は必死のパッチで攻めたに違いない。
大堀切から三ノ丸へ。曲輪が三段連続し、そのまま下りれば登りに大休憩した龍神池へ。
三ノ丸を下りないで下り口方面へ下りて行きます。道は管理道路であり舗装されています。
下り道途中にある最後の見所「てのくぼり」。十二本の竪堀跡が見れます。
夏だけにこんな状態ですが、肉眼ではもっと分かりやすいです。
畝状竪堀群がスッキリ見れるとこてそうないですよね。ここはまだ見れる方です。見たい方は現地で見てください。
今では横移動も難なくできますが、往時はもっと鋭くて足を取られて容易に横移動できなかったものかと。
十二本あったかどうかは確認していません
下りの舗装道がこれまたまた長い これけっこう足にきます。
登り程ではないが下りもけっこう堪えた。
下り口に到着。この道を下って行けば上り口へ。
道の駅にパンフがなかったのは残念ですが、程よく整備もされ現地は案内板が充実していた、
美作屈指の山城・岩屋城でした。
酷暑に山城へ挑むなど二度とすまいと心に誓う。来年には忘れてるかも
もう一城目論んでましたが、もうあかん
美作より撤収
20/08/01