記事作成中にプレビューが表示しないんですけど
仕上がりが確認できないので不便である。不憫じゃの~
近江・大桑城のつづきです。
登城口から急斜面を登り、途中で井戸を確認したのはええけども、そこから尾根まで激烈な急斜面を登る羽目に陥り、かなり体力を消耗してしまった。戦国時代に生まれてたなら、こんなことでは足軽失格なので、麓で床几に座して指揮を執る大将に生まれよう。
現在地からではありません。切井戸から直登まがいな道を上がった曲輪群の南の尾根道からとりあえず番所跡方面へ向かうと見せかけて、なぜか馬場手前で踵を返して主郭部へ向かうという中途半端な動きをいたします。
尾根上は曲輪。その脇に設けられた道(帯曲輪?)を設け、帯曲輪を進撃する敵を土塁上(尾根上)から攻撃するようにしているんですね。しらんけど。
足元を見ると石積み。
石積みで土留しています。この角度からが限界。
断ち切ってる感じです。
尾根上はこんな感じで削平されてます。
奥の看板には「石垣見学ポイント」と書かれてる。滑落をあおってるのかっ
これが限界でしょ
撮影ポイントまで行けまへん!これ以上降りると・・・デス
土橋。
土橋横の竪堀。
反対側も竪堀。
馬場まで100m。細長い削平地があるんやなぁと想像だけして山頂方面へUターン あしからず。
井戸から這い上がってきた場所へ戻り主郭部へ。
ここの石積みは虎口の石段跡のようです。
主郭部直下にある伝・臺所。(だいどころ)
城主の館があったとみられています。
伝・臺所の石積み。市が今年行った調査によると大桑城の石垣(石積み)は計40か所であることが確認されたらしい。わしはそんなに見つけられられなかった。
主郭部西の帯曲輪。
家臣団の屋敷があったとされる曲輪群が斜面下に連なる。上がってくるのがしんどいので下りてない
主郭部の石積み。
主郭部へ。急斜面なのでロープを使用しましょう。
最後の難関 特に下りはロープを使用しましょう。
主郭部下段にあたる伝・天守臺。
天守台というても天守が建っていたわけではありません。
天守臺からの眺望。中央右の再奥部のとんがってる山が岐阜城の金華山かと。
天守臺上段の頂上に到達 そんなに広くはない。
美濃・大桑城 撮ったど~
天守臺上段の回りは樹が多くて眺望は効かないです。
唯一眺望が効くところから見えるのがコレ
はぁ
なぜにこんな天守を建ててしまったのか
空模様が冴えないので余計に冴えない画になってしもた。
撤収
登りは井戸を見るために登城道を反れたので、帰りに見れたどえりゃ竪堀
大桑城を攻め落し土岐頼芸を追放した斎藤マムシ道三は事実上美濃の国盗りを成し遂げる。美濃国を追われた頼芸は近江の六角氏に身を寄せ、奈良や上総を転々とし、天正10年(1582)信長の武田攻めの際に甲斐にいたところを発見されて美濃へ戻り、同年美濃の地で死去するのであった。
ときが 動き出す ことはなかった。
つづく。
20/09/20