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       シンフォニー

 暗く煮えたぎる波の轟きと
 さまざまな生命
(いのち)のざわめき
 そして絶えず見おろしている
 高い星辰の丸天井。

 わたしの生命はふかく沈み、
 宙宇のはてに漂う;
 焼けただれた甘いほむらを
 深く吸いこんでは酔いしれる。

 生命のあやしい耀きから遂に
 わたしは逃れられぬ:それは復
(ま)
 幾千もの恍惚でわたしを洗い
 巨大な潮
(うしお)へと押し流す。




 さて、今夜は“シンフォニー(交響曲)特集”ということで、……ベートーヴェンには9つのシンフォニーのほかに、“番外交響曲”がある‥しかも。そいつは、「史上最強の駄作」の誉れ高い傑物ときているw。シベリウスには“交響曲第ゼロ番”がある―――というわけで、交響曲らしからぬ交響曲のオン・パレードを計画していたんですが、

 それはまぁ、またの機会に譲るとして、ここはごく生真面目に、シンフォニーらしいシンフォニーを聴くことにいたしませう。。。


 

シベリウス『交響曲 第2番 ニ長調』から
第1楽章 アレグレット

 


 シベリウスの1番は、先日第3楽章だけ聴いていただきましたが、まだロシア音楽の影響も色濃い壮大なオーケストレーションでありました。しかし、この2番からは、ようやく本領を発揮して、フィンランド民族色豊かな色彩を帯びてきます。

 ベートーヴェン、ブラームスのように最初からドドーン!と圧倒するのではなく、‥この軽やか、というか可愛らしい‥斜に構えたような出だしは、むしろ、私たち東洋人の感性に訴えてくるものがあるのではないかと...


 そうはいっても、シベリウス本人は、フィンランドとはまったく無関係に、滞在先のイタリア・ジェノヴァで、フィレンツェの風景やら、ドン・ジョヴァンニ伝説やらをイメージして、「2番」を作曲したとのこと。

 エサの桑の葉がそのまま糸になるわけじゃないw。作曲家に刺激を与えたものと、作曲家の筆が生み出すものとは、やはり相当のひらきがあるという、良い例なのでせう。

 つづく↓3番の終楽章は、当時北欧にも普及してきた蒸気機関車の力強い走行をイメージしているとも言われます。


 

シベリウス『交響曲 第3番 ハ長調』から
第3楽章 モデラート‐アレグロ(マ・ノン・タント)‐メノ・アレグロ
オッコ・カム/指揮
ヘルシンキ放送交響楽団

 


 ところで、交響曲と銘打つからには、ベートーヴェンを無視するわけにもいかない。しかし、暮れじゃないのに第九もなんだし、運命は別の機会にとっておきたい。。。 ここはごくポピュラーに、「田園」のクライマックスのサワリと行きましょう。


 ところでこの第3楽章、ギトンの耳には、なぜか、ヒバリの鳴き声が聞こえてくる気がする。しかも、「ファ、ド、ラ、ファ、ド、ラ、…」という3拍子で―――この楽章は4拍子なのに。。。

 たしかに、第2楽章は、「小川のほとりの情景」、ヴァイオリンと木管楽器が小鳥の鳴き声を聴かせている―――と、正式に説明されている。ウグイス(ナイチンゲール)、ウズラ、‥‥カッコウの声は誰にでも聴き取れる。

 しかし、第3楽章にヒバリという説明は、聞いたことがない。正式の説明によると、村のお祭りのはずなんだけど。。。

 かつてある年のゴールデン・ウィーク、「田園」をウォークマンで聴きながら、青森県の野山をぶらぶらと歩いていたら、第3楽章のところで、鳴いてるヒバリの声とオーケストラの音程が、ピッタリと合ってしまったのです!! その箇所は、↓下の音源で言えば、0:34- と 3:08-。

 それ以来、ほかの箇所でも、第3楽章全体にわたって、‥‥いや、第1楽章でも第2楽章でも、「ファ、ド、ラ、ファ、ド、ラ、…」‥‥ヒバリの3拍子のさえずりが、スコアには書いてないけど、オーケストラの音の合間から、ずうっと聞こえている気がする...

 そういえば、ウグイスとナイチンゲールは別種だけど、ヒバリは、ヨーロッパでも日本でも同じ種のはず。ベートーヴェンの聴いたオーストリアのヒバリと、日本のヒバリ――ヨーロッパに緯度の近い北日本のヒバリは、ベートーヴェンと同じ音程でさえずるのではないか?。。。

 できることなら、行ってたしかめてみたいものだが、そんな機会もないし、あちらへ行く知り合いに、ベートーヴェンの「田園」とウィーン郊外のヒバリの音程を聴き比べてほしい―――などとヒマ人なことを頼むわけにもいかないし...

 それでも、第六を聴くたびに、ヒバリの声はいよいよはっきりと耳に入って来る。演奏によっても多少ちがうようで、いちばんはっきり聞こえるのは、カール・ベーム指揮のウィーン・フィル‥‥などと、“スコアに音符のないヒバリ”の偏執妄想は、いよいよふくれあがってゆくのであった。。。。

 いやいや‥‥じつは、ヒバリだけじゃない。第1楽章に、日本の東北のブナ林の木立ちと、みごとに共鳴しあう部分が何か所かある。こちらのほうは、同じベームのWPOでも、収録音源によって、共鳴するのとしないのがある。。。。


 さて、どうでしょう? ↓0:34- と 3:08-。ほかの人の耳にも、ヒバリに聞こえますかしら?


 

ベートーヴェン『交響曲 第6番 ヘ長調』から
第3楽章 アレグロ
カール・ベーム/指揮
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

 

 



 


 

シベリウス『交響曲 第6番 二短調』から
第4楽章 アレグロ・モルト‐ドッピオ・ピュ・レント

 


 ↑表題には「二短調」と書かれているが、西洋音楽の短調とは、ちょっと違うふんいき。これは、「ドーリア旋法」という中世の音階なのだそうです。

 名前は難しそうですが、なんのことはない、白鍵盤の「レ」からはじめて、「レミファソラシドレ」と、白鍵盤だけを叩いていけば、「ドーリア」音階になります。

 「レ」で始まって「レ」で終るのは、雅楽の音階――たとえば「君が代」――とも共通します。

 ところで、シンフォニーと言えば、↓こういうシンフォニーもあった!! ベートーヴェン以前には、シンフォニーは、ごく軽やかな小品の形式でした。


 

モーツァルト『交響曲 第40番 ト短調』K.550 から
第4楽章 フィナーレ(アレグロ・アッサイ)
ベンジャミン・ブリテン/指揮
イギリス室内管弦楽団

 


 さいごは、『幻想交響曲』からサワリの楽章を。

「病的な感受性と激しい想像力に富んだ若い音楽家が、恋の悩みによる絶望の発作からアヘンによる服毒自殺を図る。麻酔薬の量は、死に至らしめるには足りず、彼は重苦しい眠りの中で一連の奇怪な幻想を見、その中で感覚、感情、記憶が、彼の病んだ脳の中に観念となって、そして音楽的な映像となって現われる。愛する人その人が、一つの旋律となって、そしてあたかも固定観念のように現われ、そこかしこに見出され、聞えてくる。」

 ↑ベルリオーズ自身が演奏会のプログラムに書いた説明だそうです。ウィキペディアから引用しました。

 そして、第4楽章は:


「彼は夢の中で愛していた彼女を殺し、死刑を宣告され、断頭台へ引かれていく。行列は行進曲にあわせて前進し、その行進曲は時に暗く荒々しく、時に華やかに厳かになる。その中で鈍く重い足音に切れ目なく続くより騒々しい轟音。ついに、固定観念が再び一瞬現われるが、それはあたかも最後の愛の思いのように死の一撃によって遮られる。」

 

ベルリオーズ『幻想交響曲』作品14 から
第4楽章“断頭台への行進”
グスタフ・ドゥダメル/指揮
シモン・ボリバル・ユース・オーケストラ

 


 ↑音が大きくなった部分で、ビリビリッと雑音のようなのが、聞こえるかもしれません。しかし、ほかの音源でも、同じ箇所で、多かれ少なかれ同じビリビリッ‥が聞こえるのです。ということは、録音のせいではない。

 そこで、画面を見ると、金管席に大きめのチューバ(オフィクレイドの代用)が出ている。たぶん、ビリビリッ‥は、チューバの音だと思います。ユース・オーケストラのビリビリッ‥が目立つのは、奏者の技術の問題。でも、エネルギッシュなドゥダメルの指揮は、その欠点を補ってあまりあるものですから、今回はこの音源を選んだ次第です。。。




      断 念

 この世の道という道を踏み了えた者は
 最後の小径
(こみち)の道しるべが
 どこを指していようと気にならぬ。

 どの径
(みち)も所詮は同じこと
 これまでの径がみなそうだったように
 願い満つる国には到
(いた)りえぬ。

 彼は知る、己
(おの)が胸の道しるべは
 いつも同じ険しき道を指す:新たな喜びにではなく
 つねに新たな苦しみに導くその道を。



 

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