雨
なまぬるい雨、夏の雨
繁みから垂れ、樹叢(こむら)を鳴らし、
おお、なんとすてきな心地よさ、
ひさびさ飽きるまで夢を見るのは!
ずっと日なたにいたものだから、
この急変にはまだ馴れぬ:
どこの異国にゆくでもなく、
自分の心に住みつくのは。
ぼくはなにも求めず、なにも望まず、
小声で子供の唄をうなるだけ、
ふしぎな気持ちでこっそりと
温(ぬる)くてきれいな夢に手を伸ばすだけ。
心よ、なんとおまえは引き裂かれているのだろう、
眼をふさがれ手探りするのは、なんと愉快なことだろう、
考えもせず、知りもせず、
ただ感じている、ただ感じているのは!
ひさびさに、朗読動画を見たいと思います。バックの音楽も、この詩に合わせて作っただけあって、↓これはけっこう楽しめます。
ヘルマン・ヘッセ「雨」
ユリアーネ・ケーラー/朗読
アンドレアス・フォレンヴァイダー/ハープ
ヘッセ・プロジェクト
さて、雨にちなんだ歌ということで、‥‥↓こんなのはいかがでせう? ナツメロ?
「たどり着いたらいつも雨ふり」
吉田拓郎/作詞・作曲
子供ばんど
この 70年代初めの日本では、フォークがロックの先を行っていたそうで、この曲も、フォーク・シンガーソングライターの吉田拓郎が、ロック系バンド『モップス』のために作ったもの。もともと拓郎は、「好きになったよ女の娘」という歌詞で歌っていた曲に、モップスに合う歌詞をつけて提供し、モップスがロック調にカバーして売り出した。
当時は、モップスに限らず、フォークの曲をロックでカバーするのがはやっていたようで、数あるそのフォーク・ロックのなかでも、この曲がいちばん当たった部類なのかも。。。
拓郎と並ぶフォーク・シンガーソングライターのもう一方の雄・岡林信康のほうは、自分でロックバンドを作って歌ってましたが、いま聴いてみると、‥‥いまいち迫力が... アコギの弾き語りで来た人は、どうしても線が細いんですよね。
クラシックも聞いてみましょうか。“雨”といったら、‥‥雨嵐でも雷雨でもなく“雨”といったら、いちばん有名なのは、↓これでしょうかね?
ショパン『24 の前奏曲』から
変ニ長調 作品28の15“雨だれ”
ユンディ・リー/ピアノ
この雨だれのプレリュード、故オイゲン・キケロのジャズ・カバーがあったので、ちょっと聴いてみましょう。セッションの途中の、ごく短い部分ですが。。。
ショパン『雨だれの前奏曲』(ジャズ・ヴァージョン)
オイゲン・キケロ/ピアノ
“雨”といえば、シューベルトのリートにも、↓こんなのがありました。
「雪にも 雨にも 風にも負けず……」ゲーテの詩だそうですが、どっかで聞いたことがあるような。。。。。w ミヤザワ・ケンジの「雨にも負けず」なんとやらは、この歌のパクリですかね?! ケンヂさん、ゲーテを愛読してたし、シューベルトのレコードも聴いてたそうぢゃないですか...
シューベルト『憩いのない恋』D.138
ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ/バリトン
クラウス・ビリング/ピアノ
「 憩いのない恋
雪にも、雨にも、
風にも負けず、
谷間の蒸気
立ちこめる霧を通りぬけ、
たえずたゆまず!どこまでも!
憩いも安らぎもなく!
むしろこの身を苦痛で
苛(さいな)むほうがましなほど、
そんなにたくさんの
生の喜びに堪えてゆくのなら。
すべての愛情
心と心の依存しあい、
ああ、なんとそれは奇妙にも
苦しみを生み出すことか!
どうして逃れたらよいのか?
森のまにまに退(しりぞ)くか?
どうしようと無駄なこと!
おまえは生の極みなのだ、
やすらぎ無き幸せ、
恋というおまえは!」
雨の日々
世界の果てに貼りついた気のすすまない視線が
灰色の壁にぶつかって止まる、
»太陽«はもはや空虚なことばでしかない、
凍りついて佇(たたず)む樹々、裸かで濡れている、
女たちはマントにくるまって通り過ぎる、
はてしなくざわめく雨の音、雨の音。
わたしがまだ子供であったころ、
空はいつも青く澄んでいた
雲はみな黄金(きん)で縁どられていた;
ところが大きくなってからというもの、
すべての輝きが消えてしまった、
雨音がざわめき、世界は変ってしまった。
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