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ヴルタヴァ(モルダウ)川とヴィシェフラト


 



       刈り込まれた楢の樹(き)

 なんとひどく彼らはおまえを刈り取ってしまったことか、
 なんと見違えるほどおかしな姿になっておまえは立っているのか!
 いったい何百回の痛みにおまえは堪えたことだろう、
 反逆心と意地のほかおまえに何も残らなくなるまで!
 わたしはおまえのように、命を切り刻まれ
 痛めつけられながら、倒れることはなかった
 そして毎日のように粗野な言動を掻いくぐり
 浮き上がって新たに額
(ひたい)を光に輝かす。
 かつてわたしがもっていた柔らかいしなやかな心を
 世は嘲って殺してしまったが、
 わたしという存在は壊されようがない、
 わたしは満足だし、気もしずまった、
 何百回も打ち砕かれた小枝から
 忍耐強く新しい葉を出して行こう、
 そしてあらゆる嘆きにもかかわらず
 わたしはこの狂った世を愛しつづけるだろう。

 



 

スメタナ『交響詩 わが祖国』から
第1曲「高い城(ヴィシェフラト)」
ラファエル・クベリーク/指揮
チェコ・フィルハーモニー管弦楽団

 


「      《ヴィシェフラト》

 

 ヴィシェフラト(Vyšehrad)は、チェコ語で「高い城」を意味する。プラハにある、ヴルタヴァ(モルダウ)川沿いの丘の上の城跡である。

 この丘に城が築かれたのは、プラハ城よりも遅く、10世紀後半ころ。ヴィシェフラトは当時のプラハ市域の外にあって、ヴルタヴァ川の東からプラハと川を押さえる大事な拠点であった。ヴラチスラフ2世王は、プラハ司教との権力争いもあって、プラハ城からヴィシェフラトに居城を移し、ここに司教座聖堂参事会を置いて司教に対抗した。ヴィシェフラトにはプラハとは別に独自の街があり、プラハ以上の賑やかさがあったという。

 カレル5世王(神聖ローマ皇帝を兼任)によるプラハの大拡張で、プラハを囲む長大な市壁がヴィシェフラトに接続された。ヴィシェフラトは、プラハの南端に構える要塞として、十五の塔の聳える強力な城に改造され、宮殿や聖堂が整備され、プラハ市とは独立して市政が行なわれた。

 フス戦争において、フス派は、プラハ市街を占領して、プラハ城とヴィシェフラトに拠るカトリック勢力に対抗した。フス派は、ヴィシェフラトに大規模な攻撃を行ない、ヴィシェフラトの戦いが起った。この戦いで勝利したフス派は、城を徹底的に破壊し、ヴィシェフラトのカトリック教会も破壊された。教会や聖堂は後に再建されたが、城は再建されず、川沿いの崖に遺構が残っているだけである。

     『わが祖国』第1曲《ヴィシェフラト》

 曲は、吟遊詩人のハープで始まり、この詩人が、古の王国の栄枯盛衰を歌う、という内容である。冒頭のハープの音色のあと、城の工廠の響きに転換する。この部分で現れる主題(B♭-E♭-D-B♭)は、ヴィシェフラト城を示しており、『わが祖国』全曲を通じて繰り返し用いられる。」

  ⇒:Wiki:「ヴィシェフラット」一部改


 『我が祖国』は、第3曲(シャールカ)と第4曲(チェコの森と草原から)は、すでに聴いてしまいました。有名な第2曲(モルダウ)も一部だけ出しましたが、これはまた機会を改めましょう。

 最後の2曲「ターボル」と「ブラニーク」は、チェコ以外ではあまり聞く人がいないのですが、スメタナは、この2曲にもっとも力を入れていたようです。↑上の、プラハ、旧市街広場で行われたクベリークの演奏実況でも、「モルダウ」あたりでは、フスの銅像に登って楽しそうに笑っていた若者たちが、「ターボル」になると、しんけんな表情でじっと見つめながら聴いているようすが映っています。

 チェコの人にとっては、「ターボル」と「ブラニーク」は、独立史にかかわる厳粛な曲なのです。それというのも、ルターやカルヴァンよりも以前に宗教改革を唱えて火あぶりにされたヤン・フスと、彼の信徒たちの抵抗の歴史を記念する音楽だからです。



「   第5曲:ターボル(Tábor)

 この曲と次の『ブラニーク』は、15世紀のフス戦争におけるフス派信徒たちの英雄的な戦いを讃えたものである。

 ターボルとは、南ボヘミア州の古い町で、フス派の重要な拠点であった。ボヘミアにおける宗教改革の先駆者ヤン・フス(1369-1415)は、イングランドのジョン・ウィクリフに影響を受け、堕落したカトリック教会を烈しく非難して破門され、コンスタンツ公会議の決定で焚刑に処せられた。

 しかし、フスの刑死後、その教理を信奉する者たちが団結し、フス戦争を起こす。この戦いは、18年にも及ぶものであったが、結果として失敗に終った。しかし、これをきっかけに、チェコ人は民族としての自覚を深めることとなった。フス派の讃美歌の中で最も知られた『汝ら神の戦士』のメロディーが、第5曲全体を通じて現れ、これは『ブラニーク』でも引き続き用いられる。

    第6曲:ブラニーク(Blaník)

 ブラニークは、中央ボヘミア州にある山で、ここには、フス派の戦士たちが眠っており、また、讃美歌に歌われたチェコの守護聖人ヴァーツラフの率いる戦士が眠るという伝説もある。伝説によれば、この戦士たちは、国家が危機に直面した時に復活するという。

 『ヴィシェフラト』の主題は、『ブラニーク』の最後部にも再現する。『ターボル』にも使われたフス教徒の讃美歌『汝ら神の戦士』が高らかに響き、希望に満ちた未来を暗示しながら、連作の最後を飾るのに相応しく勇壮なクライマックスをもって曲を閉じる。」

  ⇒:Wiki:「わが祖国 (スメタナ)」一部改

 

スメタナ『交響詩 わが祖国』から
終曲「ブラニーク」
ラファエル・クベリーク/指揮
ボストン交響楽団

 

 



ヴィシェフラト 城の遺構  
 



 『わが祖国』の厳粛な民族讃歌を聴いたあとは、肩ほぐしに、ゆるめの室内楽で楽しみたいと思います。スメタナが、自分の個人的な思い出を綴った弦楽四重奏曲『ある芸術家の生涯から』――または『わたしの生涯から』。最初と最後の楽章だけピックアップしますが、気に入ったら、ヨウツベで全曲演奏を検索してみてください。演奏は、やはりアルバン・ベルクがお勧めです:

 

スメタナ『弦楽四重奏曲 第1番“わが生涯から”』
第1楽章 アレグロ・ヴィヴォ・アパッショナート
グァルネリ弦楽四重奏団

 

 

スメタナ『弦楽四重奏曲 第1番“わが生涯から”』
第4楽章 ヴィヴァーチェ
アルバン・ベルク四重奏団

 




       どこかに

 生の砂漠をわたしは灼
(や)け尽くすようにさまよい
 重い荷を負って呻いている、
 それでもどこかに、もうほとんど忘れかけているのだが、
 みずみずしい木蔭に花咲く庭園があることを知っている。

 それでもどこか夢幻のかなたに
 くつろぎの場がわたしを待っている、
 そこは魂が故郷
(ふるさと)をとりもどす場所、
 微睡
(まどろみ)と夜と星たちがわたしを待っているのだ。



 

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