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       9 月

 どこもかしこも秋に向かってゆく、

  庭の紫苑(アスター)やダーリアも
 喜びを湛えて輝いているのだろうか、
 それでも彼らは密かな痛みを秘めている。

 夕べの山々はいま夢想にふけって
 赫々たる黄金
(きん)と紅(あか)、青いテープを身に纏う、
 まるでこの広々とした世界のすべてが
 耀きと慾動に専念しているかのようだ。

 そこでわたしの夢想も身を飾り立て
 すてきな若やぎの唄を口ずさみ
 故郷
(ふるさと)に向かう桂冠の旅
 静かに心あらたまって行くてを望む。

 それでもわたしは胸の奥で知っている:
 わたしの生涯の太陽の季節から
 またもやひとつの時がすり抜けてゆく
 もう今日、明日
(あした)にも消えてしまうことを。



 



 「ゲイジュツの秋」には、まだちょっと早い? むし暑いですねえ、あいかわらず‥

 諸大家の交響曲ときたら、ひとつひとつの楽章が長いので、こういう零細なブログではなかなか出しにくいんですが..., それでもこのさい出してみようか… ということで、とりあえずチャイコ。

 有名な「悲愴」シンフォニーを、まだ出してませんでした。

 この曲、有名すぎるから、ヨウツベにも、カラヤン・ベルリンフィルの堂々たる一番などなど、世界最高峰の演奏音源がメジロ押ししてますが、私の好みを言えば、ロシアのお国の指揮者と演奏者のがいいんですね。しかもこの曲には、“突撃隊長”スヴェトラノフよりも、ムラヴィンスキーの陰翳のある細やかな演奏がふさわしい。

 ロシアの秋の陰翳を、十分に味わっていただきたいと思います。始まりの音が小さいので、音量を上げて再生されるようお勧めします。ただ‥、静かに流れていたと思ったら、突然に大音量で噴射するのが、この曲の特徴といえば特徴。家族はみんな爆音大好きとか、隣りの家には何も聞えない防音ハウスに住まっている方を除いて、 3:30-3:55 9:25-11:00 11:30-13:30 14:20-15:20 では、音量を下げたほうが、よろしいかと。


 

チャイコフスキー『交響曲 第6番 変ロ短調』から
第1楽章 アダージオ‐アレグロ・ノン・トロッポ
イェヴゲーニー・ムラヴィンスキー/指揮
レニングラード・フィルハーモニー管弦楽団

 


「交響曲第6番ロ短調 作品74は、ピョートル・チャイコフスキーが完成させた最後の交響曲。『悲愴(ひそう)』という副題で知られる。

 副題については、少なくとも曲が完成した 1893年9月には、作曲者自身がこの題名を命名していたことが分かっている。

 チャイコフスキー自身は世評を気にしがちなタイプだったが、ことこの曲については最終楽章にゆっくりとした楽章を置くなどの独創性を自ら讃え、初演後は周りの人々に『この曲は、私の全ての作品の中で最高の出来栄えだ』と語るほどの自信作だった。

 チャイコフスキーの又甥カルツォーフの妻アレクサンドラの回想録『P・I・チャイコフスキイの思い出』には、チャイコフスキーが本作の初演後、従姉妹のアンナ・ペトローヴナ・メルクリングを家まで送る道中、アンナに対して、

 『新作の交響曲が何を表現しているか分かったか』と尋ねた。彼女が、

 『あなたは自分の人生を描いたのではないか』と答えたところ、チャイコフスキーは、

 『図星だよ』と言って喜んだと記されている。チャイコフスキーは、アンナ・ペトローヴナに、

 『第1楽章は幼年時代と音楽への漠然とした欲求、第2楽章は青春時代と上流社会の楽しい生活、第3楽章は生活との闘いと名声の獲得、最終楽章は〈De profundis(深淵より)〉さ。人はこれで全てを終える。でも僕にとってはこれはまだ先のことだ。僕は身のうちに多くのエネルギー、多くの創造力を感じている。(中略)僕にはもっと良いものを創造できるのがわかる。』と話したと云う。」

Wiki:「交響曲第6番(チャイコフスキー)」

 


 「6番」のバラ聴き、お次は、‥やはり今回は“陰翳”特集ということで、華やかな2,3楽章は飛ばしまして、味わい深い第4楽章―フィナーレを聴いていただきましょう:

 

チャイコフスキー『交響曲 第6番 変ロ短調』から
第4楽章 フィナーレ:アダージオ・ラメントーソ‐アンダンテ
ゲオルク・ショルティ/指揮
シカゴ交響楽団

 

 



 



 チャイコフスキーの「1番」は、マニアしか聴かない(失礼!)マイナーな曲ですが、副題は『冬の日の幻想』。

 若くまだ無名だったチャイコフスキーが心血を注いだ処女作でしたが、恩師アントン・ルビンシテインには酷評され、楽譜を直して見せたところ、やはり酷評されました。結局、初演では、全曲が演奏されることはなく、第2楽章だけ、あるいは↓第3楽章だけの演奏となり、あまり注目もされませんでした。しかし、2年後に恩師の弟ニコライ・ルビンシテインが指揮して全曲を演奏したところ、たいへんな評判となり、チャイコフスキーの名声は一気に上がったと言います。


 

チャイコフスキー『交響曲 第1番 ト短調』から
第3楽章 アレグロ・スケルツァンド,ジョコソ
ベルナルト・ハイティンク/指揮
アムステルダム王立コンセルトヘボウ管弦楽団

 


 最後は、↓コレで締めましょう。

 1876年6月、オスマン・トルコ帝国軍によってセルビアのスラヴ人キリスト教徒が多数殺害された事件に際して、多くのロシア人が、殺害されたスラヴ人に同情を感じ、義勇軍を組織してセルビアへ赴いた。

 チャイコフスキーの親しい友人であったニコライ・ルビンシテインは、チャイコフスキーに、この事件の犠牲者たちの追悼演奏会のための作品を依頼した。チャイコフスキーは5日間で、この曲を完成させたという。

 この曲には、3つのセルビア民謡のほか、ロシア帝国国歌『神よ、ツァーリを護りたまえ』が引用されており、そのため、旧ソ連時代にはオリジナルでの演奏が禁止されていた。


 

チャイコフスキー『スラヴ行進曲』作品31
レオポルト・ストコフスキー/指揮
ロンドン交響楽団

 




      秋

 おまえたち鳥族は繁みで、
 おまえたちの唄がせわしく飛びまわる
 褐色に染まってゆく森の袖
(そで)――
 おまえたち鳥族、うかうかしてられないぞ!

 もうじき風がやってきて吹くぞ、
 もうじき死神が来て大鎌をふるうぞ、
 もうじきその灰色の亡霊が来て嗤
(わら)うと、 

 ぼくらの心臓は凍りつく
 庭はその煌
(きら)びやかなすべてを
 生はその輝きのすべてを喪
(うしな)う。

 樹
(き)の葉叢にいる鳥たちよ、
 親愛なる兄弟たち、
 歌をうたわせ楽しくさせてくれ、
 ぼくらはまもなく塵となるのだから。



 

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