考 察
むかしわたしは詩人だった、
いまじゃオッペケ都々逸(どどいつ)(※)ひねるだけ、
それを読んだ人びとは
罵倒したり嗤(わら)ったり。
むかしわたしは物知り賢者、
悟りの極みに近づいていた、
いまじゃ元の阿呆に戻り、
もいちど最初から始めるところ、
これからまだ燃えたり噛みついたりするだろう、
戦(いくさ)で英雄たちがしたように。
なにかきちんとした者になるという
定めがわたしにゃ下されず、
とかくこの世は生きにくい;
わたしの学校(がっこ)の先生は、こいつは碌な末期(まつご)迎えぬと
とうに見立てていらしたが、
その碌でもない末期に向かって
わたしの胸に誘いの声が鳴りひびく、
暗い歌声、わたしを線路の上に
身をよこたえる気にさせる。
死は生ほど酷(ひど)いものではない、
なぜならほんとに多くの人がみずから生を捨て去った;
に引き換え、やっぱりもいちど死を捨てて生に戻ろうなんて思う
死人はいない、いたら恥ってもんだろう、
否、すでに多くの人が進んで死に入って行ったけれど、
進んで生に入った者などいないのだ。
※「オッペケ都々逸」:原語は、クニッテル・ヴェルゼ(Knittelverse):1行に強勢が4回あり、2行ずつ韻を踏む単純な詩形。型にはまった脚韻が繰り返されるので、ラッパーのような低俗な感じになる。長いドドイツ、おっぺけ節のようなものと思えばよい。
アルトゥロ・マルケス『ダンソン・ヌメロ・ドス』
第6曲 RV356
第1楽章 アレグロ・モデラート
グスタボ・ドゥダメル/指揮
ベネズエラ・ユース・オーケストラ
『ダンソン・ヌメロ・ドス(Danzón No. 2)は、 メキシコ人の現代音楽作曲家であるアルトゥロ・マルケスの代表曲で、北米や欧州では、オーケストラでよく演奏されるメキシコ現代音楽の人気楽曲の1つである。
作曲のアイデアは、1993年に何度かメキシコ各地を旅した際に、キューバ発祥の音楽とダンスのジャンルで、メキシコにも広まり今でも高齢者を中心に人気のあるダンソン(Danzón)の音楽とダンスに触れたことがキッカケで、色々と研究を始め、その音楽要素を取り込んだオーケストラ曲を創造した。
アルトゥロ・マルケス・ナバロ(Arturo Márquez Navarro、1950年 - )は、メキシコ人の現代音楽作曲家。メキシコのソノラ州アラモスで生まれ、1962年、家族と共にカリフォルニア州ラ・プエンテに移住。1966年頃から音楽の訓練を地元ラ・プエンテで始め、その後、メキシコ国立音楽院やパリ、カリフォルニア芸術大学などで研鑽を重ねつつ作曲活動を展開している。』
Wiki:「ダンソン・ヌメロ・ドス」 Wiki:「アルトゥロ・マルケス」
ホセ・パブロ・モンカイヨ『ワパンゴ』
グスタボ・ドゥダメル/指揮
咸興交響楽団?
↑この音源、クレジットに「咸興(Hamhun)交響楽団」と書いてありますが、楽団メンバーは見たところ南米系の人ばかり。北朝鮮の咸興に、こんなオーケストラがあるとは思えません。CDの著作権逃れの偽表示でしょう。おそらく、ベネズエラのオーケストラだと思います。
『ウアパンゴ(Huapango)は、モンカイヨのウアパンゴ(Huapango de Moncayo)とも呼ばれる、ソン・ウアステコのサブジャンルであるウアパンゴ(Huapango)の音楽をホセ・パブロ・モンカイヨが交響楽団版に作曲した幻想曲。1941年に作曲、初演されたホセ・パブロ・モンカイヨの代表曲といえる楽曲で、メキシコでは「第二の国歌」と称されるほどの楽曲であり、北米や欧州では現代でも、アルトゥロ・マルケスの「ダンソン・ヌメロ・ドス」と同様によくオーケストラに演奏される人気の高いメキシコ現代音楽の1つである。
メキシコ革命(1910-17)終了直後に起こった、メキシコのアイデンティティを持ったクラシック音楽を創造しよう、という音楽運動の流れの中で、1941年に、ホセ・パブロ・モンカイヨが作曲し、同年8月15日に、カルロス・チャベスの指揮により初演された。
作品タイトル通り、メキシコ現地の(民族)音楽ジャンルであるウアパンゴをテーマとして、その音楽要素や特徴を取り入れ、オーケストラ用に創られた幻想曲である。演奏時間は約8~9分。
ホセ・パブロ・モンカーヨ・ガルシア(José Pablo Moncayo Garcia, 1912-1958年)は、メキシコの作曲家。メキシコ音楽院に入り、作曲をカルロス・チャベスに師事した。プロとしての最初の仕事はメキシコ州交響楽団の打楽器奏者であった。その後、1949年から1954年までメキシコシティー国立交響楽団の指揮者を務めた。』
Wiki:「ホセ・パブロ・モンカーヨ」 Wiki:「ウアパンゴ (モンカイヨ)」
さて、ここで見ておきたいのが、ドヴォルザークの『新世界交響曲』とネイティヴ・アメリカン音楽との関係。この件は宿題になっていました。
調べてみると、『新世界交響曲』の・このメロディーは、こういうインディアン民謡だ……というような主張をしている人もいるのですが、インディアン民謡のほうが具体的に示されていなかったり、曖昧模糊としています。なんだか与太話のようで、どうも信用する気にならない。
こちら(⇒:Music History Crash Course)は与太話ではなさそうなので、これに沿って進めます。
この解説(英語ですが)によると、アメリカ滞在中のドヴォルザークにインディアン・スピリチュアルを伝えたのは、ハリー・バーリー(Harry T. Burleigh)という、ドヴォルザークが校長をしていたニューヨーク国立音楽院の生徒で、アフリカンでした。作曲家兼クラシック歌手として大成し、アメリカ黒人音楽の創始者とも言われます。
「ヘンリー・タッカー・(ハリー)・バーリー(Henry Thacker "Harry" Burleigh 1866-1949)はアフリカ系アメリカ人の作曲家、編曲家兼バリトン歌手。アメリカ独自の音楽が展開する鍵となった、最初の黒人作曲家である。バーリーは黒人音楽を、スピリチュアルにしたり、さらに古典音楽的な形式に編曲して、西洋古典音楽の訓練を受けた音楽家の利用できるものとした。
バーリーは、26歳の時、ニューヨーク国立音楽院に給費生として入学し、最終的には同音楽院のオーケストラのコントラバス奏者となった。彼は入学試験の成績が良くなく、不合格になるところだったが、作曲家エドワード・マクドウェル(Edward MacDowell)の母が強固に主張して再受験を許され、入学資格と奨学金を得ることができた。
ドヴォルザークとの関係
入学したバーリーは、生活費を得るためにマクドウェル夫人の雇い人となり、清掃その他夫人の命ずる仕事は何でもした。彼は、のちにバリトン歌手として世界的に知られることとなる良い声を持っていた。音楽院のホールを清掃しながら歌っていたスピリチュアルが、校長のアントニン・ドヴォルザークの耳に止まり、ドヴォルザークは彼を呼んで歌を歌わせた。そのことを回想して、バーリーは言う:『私は、彼のために、とても頻繁に、私たちのネグロ・ソングを唄いました。こうして彼は、自分のテーマを書き下ろした時には、古いスピリチュアルの精神で満たされていたのです。』また、ドヴォルザークは言う:『アメリカの黒人のメロディーのなかには、偉大で高貴な音楽の流派に必要なすべてがあると私は思う。』
彼の言う『黒人のメロディー』とネイティヴ・アメリカン音楽から、ドヴォルザークは、5音音階を抽出した。その5音音階は、交響曲『新世界から』の随所や、弦楽四重奏曲『アメリカン』の各楽章冒頭に現れる。新世界交響曲では、フルートのテーマが、スピリチュアル“Swing Low, Sweet Chariot”によく似ている。バーリーはドヴォルザークに、この唄を他の唄とともに、よく聴かせたのであろう。
1893年、バーリーはドヴォルザークに頼まれて、『新世界から』のスコアから楽器パート譜への筆写を手伝っている。その後の数年間に、バーリーは、ペンシルヴェニア生まれの作曲家フォースター(Stephen C. Foster)の歌集“Old Folks at Home”を編曲している。バーリーは、1896年に音楽院を卒業し、継続して音楽院に勤務した。」
Wiki:「Harry_Burleigh(Esp)」 Wiki:「Harry_Burleigh(Eng)」
「私は、相当の数のインディアン・メロディーを注意ぶかく研究した。それらは、ある友人が私に与えたものだった。それらの独特の特徴に、私はほんとうに興味をそそられた――じっさい、それらの精神が私のなかに沁み透ったのだ。 ―――ドヴォルザーク、1893年.」
ドヴォルザークが、ネイティヴ・アメリカンのスピリチュアルから受けた影響は、個々の唄のメロディーを自作に取り入れたり、模倣した――というようなものではなく、「5音音階」のようなスケール、また、調性、コード進行に現れる特徴を、自分のものにした……というものであったようです。ドヴォルザーク自身言うように、彼は、非西洋的な民謡の特質に深く魅せられ、「それらの精神」で満たされたのです。
その意味で特徴的なメロディーは、『新世界』のすべての楽章にわたって存在します。日本で『家路』の歌詞をつけて歌われている・第2楽章ラルゴのテーマもそのひとつですが、それだけではありません。その種のメロディーがもっとも多く見出だせるのは、第1楽章です。
第1楽章を聴いてみましょう:
ドヴォルザーク『交響曲 第9番“新世界から”』
第1楽章 アダージオ ‐ アレグロ・モルト
ラファエル・クベリーク/指揮
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
インディアン風のメロディーをピックアップしてみましょう。楽譜はホ短調ですが、以下では、わかりやすいように、G音=「ド」の相対音階で表記します:
① [1:56-][5:38-]「(Em - C - Em)ラードミラー ドーラファミラー/(Em - B7)ド ドーミミシ ドーミミシ ドーミミシ」
② [3:00-][6:56-]「(Gm - Cm)ド ミ♭ ミ♭レド レファファレファ/(Gm - F - Gm)ミ♭ ド ドレミ♭ レミ♭レシ♭ ド」
③ [4:07-][8:02-]「(Em7 - G - C - G - D7)ドードラソー ドーミソソソー/ソーラソファミソー ファソファ レシラ ソー」
③は、↑上のウィキの説明にもあるように、“Swing Low, Sweet Chariot”というスピリチュアルのメロディーに、よく似ています。⇒:Music History Crash Course[4:46-]
そういうわけで、音楽理論によって解明できる部分もあるのですが、私たち東洋人の耳には、そうした理論を超えて、この交響曲全体が、私たちにはとても懐かしい音楽世界を体現しているように感じられます。
理論的には証明できなくとも、はっきりと感じられるネイティヴ・アメリカンの「精神」は、たとえば、↓第2楽章の後半にも聴きとれるのではないでしょうか?
ドヴォルザーク『交響曲 第9番“新世界から”』
第2楽章(後半) ラルゴ
ラファエル・クベリーク/指揮
シカゴ交響楽団
休息無し
魂よ、おびえた鳥よ、
いつでもおまえは尋ねている、
この荒々しい日々はいつまで続くの、いつになったら
平安が訪れるのでしょう、安らぎが?
おお、わたしにはわかる:われらが地の下で
静寂な日々を迎えるやいなや、
おまえには新たな憧れが起こり
日々は災いとなるだろう。
おまえは地に埋もれるやいなや、
新たな労苦に身を挺するだろう、
せわしなく終末の星のように
宇宙を照らすことだろう。
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