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Angelica Kauffmann(1741-1807):
Portrait du prince Henryk Lubomirski en Cupidon, 1786.


 



       恍 惚 境

 風騒がしい夜
(よ)を衝いて
 倚
(もた)れてくる森とその彼方、
 わたしは宙を呼吸する冷めざめとひかる星
 幻夢の傷ついた壮麗、
 するとおおわたしの心に酔いどれの世界が
 女のように横臥
(よこたわ)っている、
 苦しみの頂点に達し炎上する世界、
 その恍惚の叫びが酔い痴れた耳をつんざく。
 遥かかなたの地底から
 湧き起こる獣の咆哮、翼ある者の羽搏
(はばた)き、
 海辺のみどりの幼年時代の
 消えてしまった日々の余韻、
 生贄
(いけにえ)の叫び声と人血の迸(ほとばし)り、
 焔の焚死と僧院の牢屋
(ろうおく)、 

 すべてわたしの血の波濤、
 すべて聖なる、すべて良きもの!
 なにものも外
(そと)ならず、なにものも内ならず、
 なにものも上ならず、なにものも下ならず、
 すべて固きものは溶け去り、
 すべての界
(さかい)は砕け散る。
 星辰が私の胸を廻
(めぐ)り、
 ため息が夜空に沈んでゆく、
 ありとある生のこころと歓びが
 いよいよ恍惚と燃え、ますます色おびて瞬く、
 どんな揺さぶりもわたしは歓迎だ、
 私はどんな苦痛にでも開かれている、
 おおいなる流れを呼び起こし、世界の
 心臓へと引き込まれて行きながら。



 

 

J.S.バッハ『4台のチェンバロのための協奏曲 イ短調』BWV1065
第1楽章 速度標語なし(アレグロ)
エレーナ・バルシャイ/オルガン
アルレスハイム大聖堂・ジルバーマン・オルガン

 


 バッハを1曲だけとりあげて、じっくり聴いてみようという企画です。とりあげるのは、4台のチェンバロと室内楽団のために書かれたという豪華版コンチェルト、しかも、もと曲はヴィヴァルディのヴァイオリン協奏曲で、バッハが、独自の重厚な作風に編曲しています。

 じっくり……なので、ウィキの引用以外は、よけいな解説をしない‥‥邪魔しないことにしましょう←。さいごに、ヴィヴァルディのもと曲も聴いてみるとします。



ヨハン・ゼバスティアン・バッハが作曲したチェンバロ協奏曲は、1台用から4台用まであり、1台用は8曲(うち1曲は断片)、2台用3曲、3台用2曲、4台用1曲の計14曲がある。

 バッハは1729年から1741年にかけて、ライプツィヒのコレギウム・ムジクムの指揮をしており、バッハのチェンバロ協奏曲は、その演奏会のために作曲されたものである。しかしその多くは、バッハの旧作、あるいは他の作曲家たちの作品を編曲したものであると考えられている。

 バッハがコレギウム・ムジクムの仕事を始めた頃、長男のヴィルヘルム・フリーデマン・バッハ、次男のカール・フィリップ・エマヌエル・バッハを始めとする息子たちや、弟子のヨハン・ルートヴィヒ・クレープスらが一流のチェンバロ奏者に成長しており、このことが複数のチェンバロのための協奏曲の成立の背景にあると考えられる。

 4台のチェンバロのための協奏曲イ短調 BWV1065

 バッハのチェンバロ協奏曲では唯一のチェンバロ4台用の曲で、原曲はヴィヴァルディの『4つのヴァイオリンとチェロ、弦楽合奏と通奏低音のための協奏曲』(ヴァイオリン協奏曲集『調和の霊感』作品3の第10番)である。作曲地:ライプツィヒ、作曲年代:1731年、演奏時間:約10分。」

Wiki:「チェンバロ協奏曲 (バッハ)」
 

 

J.S.バッハ『4台のチェンバロのための協奏曲 イ短調』BWV1065
第2楽章 ラルゴ
トレヴァー・ピノック/チェンバロ,指揮
ケネス・ギルバート/チェンバロ
ラルス・ウルリク・モルテンセン/チェンバロ
ニコラス・クレーマー/チェンバロ
イングリッシュ・コンサート

 

 



 


 

J.S.バッハ『4台のチェンバロのための協奏曲 イ短調』BWV1065
第3楽章 アレグロ
ダヴィッド・フレイ/ピアノ,指揮
ジャック・ルヴィエ/ピアノ
エマニュエル・クリスティアン/ピアノ
オードリー・ヴィグルー/ピアノ
トゥールーズ・キャピトル国立管弦楽団


 

 さいごに、ヴィヴァルディのもと曲↓。バッハをしっかり聴いたあとでこれを聞くと、正直言って、重苦しい音の渦から解放された気分になります。陰鬱な北国から、アルプスを越えて、陽光あふれるイタリアに飛び出した気分でしょう。  

 

ヴィヴァルディ『4台のヴァイオリンのための協奏曲 変ロ短調』RV580
『調和の霊感』第10曲
第1楽章 アレグロ
第2楽章 ラルゴ
第3楽章 ラルゲット‐アダージオ‐ラルゴ‐アレグロ
ジョヴァンニ・アントニーニ/指揮
イル・ジャルディーノ・アルモニコ


 



      ほのお

 ぼろぼろの古着を着て踊りに行こうと、
 心が擦り切れるまで心配ごとに没頭しようと、
 己れの中
(うち)に生の焔が燃えているという、
 奇跡をおまえは日々新たに体験する。

 多くの者は炎が燃えるに任せ、
 絶頂の瞬間を酔い過ごしてしまう、
 他の者は注意ぶかく落ち着き払って
 その天分を子孫に受け継がせてゆく。

 しかしその往く道が黴
(かび)臭い薄明に没している者、
 毎日の厄介ごとに忙殺されて
 生の焔になどけっして気づかぬ者には、
 奇跡の日々はとうに失われているのだ。



 

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