このところ

自分が少し変わってきたように思える。

 

ボケて大半は話がかみ合わない母。

頑張ってはいるけれど 到底一般社会には順応できないであろう1男。

そんな彼らとの日常では、

わかっているけれど、

神経を逆なでされるような事柄も多々ある。

間が悪いと、私の癇癪坊主が暴発して、自爆する。

まともに話が通じにくい人たちを相手にするからそうなるんだろう。

自分だけが日々働いて、自分だけが荷物を背負ってると思うから、

腹がたつんだろう。

救急にお世話になったこともあるけれど、

もうアテにしないほうがいいと思っている。

 

最近、また例の母の飯ストが始まって、部屋に閉じこもってしまった時、

もういいやと、そのままにしておいた。

私がハラハラして ストレスためて、

「良かれ」と走り回ってオロオロする気力もなくなったし。

時間が経ったら、本人が死にそうな形相で部屋から出てきた。

「もうワタシは 歩けもしなくなった」 とか芝居気たっぷりに。

ただ、その時になぜか私は、母に対して 労わりの言葉を返しただけ。

「大丈夫だよ。私は気にしてないから。」

 

少し時間をあけて、自分の気持ちを冷却させたのがよかったのか。

以前だったら、『大芝居』を打つ母に対して 我慢ができなくなって、

大爆発していただろうに。

そして、空気が張り詰めることもなく、

淡々と会話を続ける私を前に、母の機嫌も緩んで、

数日は続くかと思われた『反抗』が その日で収まった。

 

ああ こんなことできるんだ

 

そう思ったら、すごく自分が楽になった。

イライラしないで処理ができた自分が嬉しかった。

自分もまともなことができたんだと 自信になった。

 

 

今日もまた 何かやらかしてくれた二人。

おやすみも言わず、部屋へ消えていってしまった。

呆れて話にはならない。

けれど、今一人で考えている。

明日の朝には 「なんで知らないうちに行っちゃったの?」 と普通に聞こう。

そうしたら、キリキリせずにまた終われるでしょ。

悟りの世界には入ってないけれど、

確実に進歩してる気がする。

人は一生学びながら生きるんだよね。

そして今はこんなことも

自分の体を労わることになると感じている。