もう、2、3年前になるか
飼ってたカエルが死んだことを思い出した

ちょうど私が引きこもり中に
布団から出られないほど疲れてた頃で

いきなり、死んだのではなく餌を食べなくなり
おまけにおなかが腫れてるから
獣医にも連れていったけどその夜、死んだ
(カエルはまだ獣医の世界でもわからないことだらけらしい)

いくらカエルといえど10年以上生きてたから
死んだときは受け入れられず
しばらくカエルをそのままにしていた

もしかしたら生き返るかもしれないと
変な精神状態に陥ってしまった

母に「どうみても死んでる、埋めなければ」と
言われてもかなりごねた
「もし生きてたらどうするんだ」とか
意味のわからないことを言ったと思う

まあなんだかんだで埋めたのだけど

そのあとの罪悪感が凄かった
疲れてたから世話が適当になってしまったせいかもしれない
私が殺してしまったとか
もっと早く病院に連れていけばとか
水槽の温度をもっと暖かくしてれば…と、後悔ばかりしてたし
今も時々、考えて苦しくなる

部屋の隅で音がすると
カエルが水槽で跳ねた音かと
無意識に振り返ってしまうときもある

「餌をやらないと」と思っても水槽はもうない
私のいつもの日課がひとつ消えた

人から見れば「たかがカエル」だとしても
私のなかでは存在が大きかったんだと思う


何で死について思いを巡らしたかと言うと
昨日、母から野良猫が道で死んでて
(たぶん車にあたった)
倒れた猫を見て小学生が「どうしよう」と困ってたので 
これ以上、車にひかれないように公園の木の側に置いてきた
という話を聞いたからで

なんか、動物の死というと
人間…身近な人の死とは違う感じのショックを受ける

その野良猫は
今日、自分が死ぬなんて思わなかっただろうし
普通に寝て起きて「なんか食料を探しにいこう」とかなんとか
考えて道を歩いてたら車にひかれたんだろう…

いつものように生きてただけなのに
命が強制終了するって考えると残酷だ

動物って口が聞けないし
死の概念もないと思うから
何が起こってるかわからないまま
ただ、痛い目にあって終わったんだろうなとか考えた

人間は、意思疏通もできるし
周りの人が亡くなったら悲しいけど
生前、会話をたくさんしたから…
後悔もあるけど楽しい想い出もあったから…と
そう割りきることができる
(祖母のときもそんな感じだった)

でも、動物の死は質が違う悲しみがある

死ぬまでの苦しみとかの過程を想像してしまうし罪悪感が残る
色々できたことがあるんじゃないかとか
動物はどうしてほしかっただろうかとか
私に楽しかった思い出があっても
ペットはそんなもん覚えてなくて
苦しみだけ抱えて死んでいったんじゃないかと考えて
どうも苦しくなる

知らない野良猫でもそう思うんだから
いつも一緒にいるペットの猫や鳥のことを考えると
カエルのときと比にならないほど
混乱するかもしれない
色々、通り越して放心状態になりそうな気がする

動物の死、どうやって受け入れていくか
今から考えててもいいかもしれないけど
なんだかまだ難しそうだ