アユタヤで伝説のムエタイ戦士ナイカノムトムに会う | ボクシングと総合と時々タイ語inバンコク

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りくと12歳。言葉の通じないタイ人に囲まれ練習に励む日々。タイのジムに出稽古に来る日本人プロボクサーにたまに会えるのが彼にとって大きな喜びだったが、コロナで2年半一時帰国も出来ない状態に。
学校でさえ行けない日々が続いたが、海外で細々と練習を続けている

連休を利用しバンコクから北へ車で約1時間強

世界遺産の街 アユタヤに来ています。
街中心部は全体がこんな感じの遺跡群です。
 
かつては黄金に輝いていたであろう仏塔も、ビルマ軍に破壊し尽くされ、
頭部がない仏像や崩れ落ちたレンガの壁がいたる所にあります。
数多くの遺跡の中でも、特にこれが知られていると思います。
木の根に埋もれる仏頭。
ちょっと怖いですが…
 
あと、大きな川エビの炭火焼きも有名です。
りくとの顔のサイズぐらいあるエビ。
これ一尾で300バーツ、
すごく美味しかったです!
by ポーりくと
アユタヤにはもう一つ有名なものがあります!
↑ナイ・カノムトムの像
ナイ・カノムトム、皆さんご存知でしょうか?
タイでは小学校の教科書に載ってるようで、
タイ人はみんな知っている国民的英雄、と聞いたことがあります。
Rocket News によると、このように書かれています。
「ナイ・カノムトム」、200年以上も前に活躍したムエタイ選手である。彼のストーリーを簡潔に説明するならば、「ビルマ軍に捕らえられたが、ビルマ王の目前でビルマ人選手10人を片っ端からブチのめして釈放」という伝説を残す最強のムエタイ戦士である。
この伝説の一戦が行われた場所はタイのアユタヤ。時は今をさかのぼること238年前の1774年3月17日。そして、この一戦で使われた技こそがムエタイの起源とされており、ムエタイ独特の試合前の踊り「ワイクルー」が誕生したのもこの日であるという。
ムエタイ独特の踊り「ワイクルー」の誕生秘話なぜこの時にワイクルーが誕生したのか。その答えは、前代未聞の生死を賭けた10人相手の戦いの前に、ナイ・カノムトムが作戦を練る時間稼ぎをしていたからである。踊りながら地形をチェック。まるでレース前に歩いてコースをチェックするレーサーのように。さらに、どのような戦いをすれば良いのか踊りながら考えに考えたのだという。そして見事、10人の相手ををぶちのめしたのだ。
 
ちなみにワイクルーとは、「師(クルー)に合掌する(ワイ)」という意味である。つまり、ムエタイ戦士がクネクネと踊るのは、師や両親、そして国に感謝を捧げているのである。
 
カノムトム像に参拝!ムエタイの技、そしてワイクルーが誕生したアユタヤには、ムエタイの英雄ナイ・カノムトムの像がまつられている。つまりこの地は、ある意味ムエタイ発祥の地だ。
 
命を懸けた闘いの際、ワイクルを舞った伝説の勇者の像の前で、
いつものこの方、恥ずかしがることもなく、
『へっぽこワイクル』を踊りましたガーン
そして更に、
厚かましくも、何やらお願いのお祈りまでしていました。
最初膝をついてたのですが、日差しに照らされた石が熱くなっていて膝が熱いと言い出し、
無礼にもこの格好でお祈りしてました。
しかも結構長い時間…
 
どうやら、
神頼みで、楽して強くなりたいようですガーン