それは「寄り添う」という言葉
ブログを閉める前は、結弦くんに対してそういう自分でいたい気持ちがすごく強くて
そういう自分になりたくて、すごく憧れていて...
「結弦くんに寄り添いたい」って、何度もブログに書いていましたね
でも実際に私が出来ていたのかというと、全く出来てなくて
平昌前の欠場で、オリンピックへの直接の応援が自分にはもう出来なくなって、それを思い知ったんです
一番苦しいのは結弦くんだったのに、私は自分の苦しい気持ちばかりで泣いていて、悲しくて...
自分が応援したい気持ちの方が大切になってて、本当は自分の気持ちを満たしたかっただけ
結弦くんの気持ちに寄り添えなかった
心に寄り添うって、言葉だけはいくらでも簡単に言える
私が言っていたのは、結局綺麗事じゃんって
結局人間って、自分の気持ちが一番大切なんだって
その言葉とはあまりにかけ離れた気持ちが自分の中に存在することを知って
もう本当に頭を何度もがつんと殴られたような感じ...
この時のこと自体は今は消化出来ていると、前にブログにも書いたんだけれど
この経験がショック過ぎて...
今でも教訓というか、忘れられないです
心から寄り添うことの難しさをこの時知ったので、これ以降は「結弦くんに寄り添いたい」って、ブログで書けなくなってしまいました
もちろん今も、心の中でそう思っています
自分がすごくすごく望んでいて、もしそれがある日突然変わってしまっても、相手に寄り添えるかと言われたら...
やっぱりそこには自分の気持ちも強く存在するので、難しいなって思っています
新しいブログになってからも、昨年のワールドの時に、自分は幸せいっぱいで完全燃焼出来ても、結弦くんは...って
そういう結弦くんとの気持ちのズレも感じたし
でもすごく難しいって思い知った経験をしたからこそ、そんな応援を目指していけたらいいなって思っています
きっとこれからはもっとその応援が必要になってくると思うし
今はまだ「結弦くんに寄り添う応援をする」とは、自信を持って書けないけどね
まだ書けないけど...
理解したいです、結弦くんのことをたくさん
理解出来るように努力したいです
そう出来ることが本当に心から嬉しいし、私の今の幸せだなって思っているので
そんな応援を目指して、1日1日頑張りたいです