それでも雨が降るときは

ホリスティックに発達障害とつきあう

AIの時代の仕事選び

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この頃やけにメディアで「AIの時代」という言葉を

目にするようになった気がしますが、

個人的にもそれを痛感することの多かった一年でした。

 

私は10年来、フリーランスで医薬系の実務翻訳の仕事をしています。

10年前に始めた当時は、IT分野ではすでに標準となっていた翻訳支援ソフトも

まだ医薬分野ではほとんど使われていませんでした。

 

私は早いうちにTRADOSという高額な翻訳支援ソフトを買ったのですが、

買ってはみたものの、TRADOSを使った案件自体がほとんどない、

という状態がしばらく続きました。

 

翻訳支援ソフトって何に使うの?と思うかと思います。

たとえば、マニュアルや報告書なんかは、改訂版が多くでるわけです。

そうすると、旧版を流用している箇所も多くなります。

その場合に、全部をいちいち訳し直すのでは手間がかかるので、

翻訳支援ソフトを使って、同じ文章や似たような文章は

全部ガ―っと機械で旧版から先に拾ってきます。

で、100%一致だとか、80%、50%一致などのように表示され、

部分一致の場合は、変更部分だけを変更し、

新規の文章はまるまる訳すわけです。

もちろん、一致率によって翻訳料も違ってきます

(通常、1ワード当たりいくらという形で支払われます)。

 

それが今では案件の8割くらいで

翻訳支援ソフトの使用を指定されるようになってしまいました。

 

機械翻訳は、医薬専門のソフトも出ていて、

10年前から使っている人も多くいました。

でも私は10年は使うまいと思って自力でがんばってきたんですが、

それには訳がありました。

出版翻訳もされている、ある実務翻訳家の人が、

「80点の翻訳ができる人が40点の人の翻訳のリライトをしても、60点にしかならない。

だから翻訳の仕事を始めて10年くらいは機械翻訳は使わない方がいい」

というようなことを言っていたからです。

 

当時は機械翻訳の翻訳はまだ全然使い物にならなかったし、

某団体のボランティアでまったくの翻訳未経験者の翻訳をリライトする

ということをやっていたのでその意味がよくわかりました。

最初にひどい文章を目にすると、それにつられてしまって

ロクな文章に仕上がらないんです。

自分で訳した方が早いわ!と思うこともしばしばでした。

 

そんなわけで、機械翻訳って進化しているとはいえ、

日本語は難しいから、流暢に訳せるようになるのはまだまだ未来の話…

と思っていたんですが、侮っていました(笑)。

 

今年に入って、取引先の翻訳会社のひとつで

翻訳支援ソフトに機械翻訳を組み込んだ案件をいただいんですが、

やってみてビックリ。う、上手い…。自然な日本語じゃないか。

やー、もう、私要らないじゃん、と思ってしまいましたよ。

けれども、なぜか数字の転記などが間違っているという、

機械の方が得意なことが不思議とできていないのが

ますます人間臭くて気持ち悪い(笑)。

 

今後どんどん機械翻訳が導入されてポストエディット

機械翻訳が訳したものに手を入れる作業)の仕事が増えていくんだろうと思います。

となると、今までの翻訳スタイルでは仕事をもらえるほどには実力がなかった人も、

チャンスということになります。

私自身も、インターネットや電子辞書のない時代には

翻訳者にはなれなかったと思います。

知識や語彙が不足していても、根気強く調べることで補えたのです。

手作業で紙の辞書や専門書を調べるよりずっと速い。

 

ですが、実際にポストエディットをやってみて思ったのは、

一見、上手い翻訳じゃん、と思える文章でも、

よく見ると訳語の選択を間違っていたりすること。

辞書的には正しくても、この分野ではこの訳語を使うとか、

同じ分野でも内容によって訳仕分けが必要な場合があるのです。

これに気づけるのは、やっぱり10年その分野で大量の文書を見てきたという、

それなりの経験があるからなのだろうとも思いました。

 

だから、今後は新しくポストエディットから翻訳に携わる人がいたとしても、

専門知識をつけたりや日本語力を磨いたりしないと、

やはり生き残っていけないだろうと思うのです。

 

余談ですけど、私はそれ以前にいろいろな仕事をしてきて、

翻訳の次に長く携わった仕事が校正でした。

出版物の文字の間違いを探す仕事です。

学生時代にデザイン会社で校正のアルバイトをしたのが最初でしたが、

当時はDTPなんてものはまだ存在せず、

その会社ではワープロで打ったものを暗室で「紙焼き」という写真に焼いて、

それを切ったり貼ったりしていました(こんなことを経験しているなんて、

化石にでもなった気分。活版印刷も知ってるよ)。

手書きの原稿からワープロで打ちだすわけなので、

当然間違いもたくさんあり、校正者の需要もあったわけです。

 

それが今では、お客さんからもらったデータをそのまま流し込むわけだから、

打ち間違い何て発生せず、

きちんと途切れずに入っているかどうかを見るくらいだと思います。

今でも校正の仕事はあるんでしょうけど、

文章を素読みして誤りをチェックする校閲作業がほとんどじゃないでしょうか。

つまり、校正者として生き残っているのは、

間違いを探す精度やスピードだけじゃなく、高度な日本語力をもった人だけ、

ということになるんじゃないでしょうかね。

 

そんなわけで、AIの時代を生き残れるのは、長い目で見ると、

ちょっとやってサッとできてしまう器用な人よりも、

愚直に実力をつけてきた人って気がしなくもありません。

 

この間、テレビで美空ひばりの歌をAIで再現するっていうのをやっていましたが、

確かに、美空ひばりの声そのもののようでビックリだったけれど、

あれで涙する人はいるんでしょうかね。

感心はするけど感動しないというか。

それでもいつの日か、AIの歌も心の琴線に触れてくるようになるんでしょうか。

 

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こういうのもやっています。よろしければどうぞ。