古代日本の歴史を謎解き

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邪馬台国 一万二千里 と 周旋五千里の謎

2018-08-05 19:03:14 | 歴史
魏志倭人伝に記載されている距離の矛盾の続きです。

帯方群から邪馬台国 まで一万二千里
帯方群から狗邪韓国まで水行七日ですので、七千里です。
狗邪韓国は倭国の最北西になります。
倭国に入って狗邪韓国から邪馬台国まで、残り五千里になりますね。
しかし、一方で
倭国を周旋すると(国々を回ると)五千里
狗邪韓国、対馬国、一支国の島々も含みます。
最南端にある邪馬台国です。
仮に、狗邪韓国から邪馬台国まで南北に一直線でも
片道五千里、往復一万里になります。
倭国の形を、どう変えても不都合な数値(距離)です。
何れかの数字が間違っているとも考えられますが

周旋すると(国々を回ると)五千里は
対馬国、一支国を含まず九州の地域での話と考えます。
狗邪韓国から末盧国まで水行三日で三千里です。
末盧国から邪馬台国まで二千里
対馬国、一支国を含まず九州北部で五千里
であれば周旋五千里ほどの円が描けます。
もうひとつは、大陸の役人が倭国を回って距離を測った事はありません。
倭の国では距離を里で測る知識もありません。
五千里は「倭国の国々(30国)を歩いて回ると50日かかった。」
この表現が周旋すると五千里となります。
30国ですので、隣の国まで一日あれば行ける国が多く
数日かかるほど離れている国もあると言う事です。
狗邪韓国、対馬国、一支国も水行1日ですので、千里で計算されています。




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1 コメント

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水行1日について (悪代官)
2019-06-05 00:05:49
水行1日につきまして、文中では、1日千里とのことですが、最後の行のみ、「1日百里」との記述になっています。
「1日千里」かと思いますが。

なお、狗邪韓國から末盧國までの合計が三千里というお考えには、全く賛同いたします。
「至る」は、使者は「行っていない」。聞いただけ、が意味であると思います。

まだ、1ページしか読んでいませんが、今後、楽しみに読まさせていただきたいと思っています。

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