魏志倭人伝に記載されている距離の矛盾の続きです。
帯方群から邪馬台国 まで一万二千里
帯方群から狗邪韓国まで水行七日ですので、七千里です。
狗邪韓国は倭国の最北西になります。
倭国に入って狗邪韓国から邪馬台国まで、残り五千里になりますね。
しかし、一方で
倭国を周旋すると(国々を回ると)五千里
狗邪韓国、対馬国、一支国の島々も含みます。
最南端にある邪馬台国です。
仮に、狗邪韓国から邪馬台国まで南北に一直線でも
片道五千里、往復一万里になります。
倭国の形を、どう変えても不都合な数値(距離)です。
何れかの数字が間違っているとも考えられますが
周旋すると(国々を回ると)五千里は
対馬国、一支国を含まず九州の地域での話と考えます。
狗邪韓国から末盧国まで水行三日で三千里です。
末盧国から邪馬台国まで二千里
対馬国、一支国を含まず九州北部で五千里
であれば周旋五千里ほどの円が描けます。
もうひとつは、大陸の役人が倭国を回って距離を測った事はありません。
倭の国では距離を里で測る知識もありません。
五千里は「倭国の国々(30国)を歩いて回ると50日かかった。」
この表現が周旋すると五千里となります。
30国ですので、隣の国まで一日あれば行ける国が多く
数日かかるほど離れている国もあると言う事です。
狗邪韓国、対馬国、一支国も水行1日ですので、千里で計算されています。
帯方群から邪馬台国 まで一万二千里
帯方群から狗邪韓国まで水行七日ですので、七千里です。
狗邪韓国は倭国の最北西になります。
倭国に入って狗邪韓国から邪馬台国まで、残り五千里になりますね。
しかし、一方で
倭国を周旋すると(国々を回ると)五千里
狗邪韓国、対馬国、一支国の島々も含みます。
最南端にある邪馬台国です。
仮に、狗邪韓国から邪馬台国まで南北に一直線でも
片道五千里、往復一万里になります。
倭国の形を、どう変えても不都合な数値(距離)です。
何れかの数字が間違っているとも考えられますが
周旋すると(国々を回ると)五千里は
対馬国、一支国を含まず九州の地域での話と考えます。
狗邪韓国から末盧国まで水行三日で三千里です。
末盧国から邪馬台国まで二千里
対馬国、一支国を含まず九州北部で五千里
であれば周旋五千里ほどの円が描けます。
もうひとつは、大陸の役人が倭国を回って距離を測った事はありません。
倭の国では距離を里で測る知識もありません。
五千里は「倭国の国々(30国)を歩いて回ると50日かかった。」
この表現が周旋すると五千里となります。
30国ですので、隣の国まで一日あれば行ける国が多く
数日かかるほど離れている国もあると言う事です。
狗邪韓国、対馬国、一支国も水行1日ですので、千里で計算されています。
「1日千里」かと思いますが。
なお、狗邪韓國から末盧國までの合計が三千里というお考えには、全く賛同いたします。
「至る」は、使者は「行っていない」。聞いただけ、が意味であると思います。
まだ、1ページしか読んでいませんが、今後、楽しみに読まさせていただきたいと思っています。