古代日本の歴史を謎解き

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弥生時代終焉の理由

2020-01-04 16:15:35 | 歴史
弥生文化の広がりは
九州北部から近畿など西日本へ
人の移動と共に徐々に広がっています。
・最初は農耕や建物など
・環濠集落が成形され始める。
・鉄器が武器となり九州から西日本へ。

弥生時代の終焉(古墳時代の始まり)は
3世紀中ほど境に
西日本でほぼ同時に起きています。

3世紀中ほどに起きた事
・九州北部で皆既日食が二年連続で起きた。
 弥生時代は洪水など気象・自然に対する祈祷を信仰している時代です。
 太陽が急に隠れてしまうなど、大変な自然現象です。
 祈祷師に対する信仰が無くなった。
・卑弥呼の死
 魏志倭人伝の記述では、倭国30国の王たちに影響を与えた
 祈祷師で女王の立場です。
 男王が立つが国まとまらず千人が亡くなる戦争へ
 大陸から来ていた張政らの協力も得て
 女王 台与 の信仰を尊重した国づくりを行った。
・大陸で三国(魏蜀呉)が滅び不安定な時代になる。
 「親魏倭王」など大陸の王から権力に意味がなくなる。
 朝鮮半島も高句麗に南下など争いの時代に突入
 朝鮮半島から一族を連れて倭国へ来た。
信仰による統治は
誰も信じなくなったのが
弥生時代終焉の理由です。

・農耕に対しての自然崇拝
・祈祷師の信仰
が力を失くして、古墳時代へ
・武力による国造り
 朝鮮半島より馬、馬具、鎧などが伝わります。
・労働力が権力の象徴 大型古墳
・甕棺、集合墳は無くなる。
・筑紫、出雲、大和など各地の豪族の国に分かれる。
それぞれの豪族で違いがあります。
筑紫では金製品やガラス玉など宝飾品が集められます。
出雲では馬が戦場で使われます。
遅れますが、若狭湾経由で朝鮮半島の文化を取り入れたようです。
ほか
266年に西晋へ朝貢した女王がいます。(台与でしょう)
更に時間がかかりますが、聖徳太子の時代に
大和朝廷が遣隋使、遣唐使を贈ります。
大陸を参考にした国づくりを行ったのがヤマト朝廷です。
そして再び天皇を神格化した神道制度を確立します。
国同士の争いは無くなり平和な平安時代ですが
源氏と平家、藤原氏など権力争いが延々と続きます。

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