古代日本の歴史を謎解き

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古墳時代の出雲(馬具、ガラス玉、金製装飾品)

2019-11-17 17:17:04 | 歴史
上塩冶築山古墳 から
副葬品冠や武器・馬具などが出土しています。
金銀宝飾品
ガラス玉
なども各地で出土しています。
そして馬具が出土していますので
馬が日本に輸入(?)されています。
朝鮮半島から馬を乗せて航海できる船が存在していたのでしょう。
5~6世紀の時代ですが
やはり 空白の4世紀
誰が金銀に宝飾品に加えて馬までも日本へ持ち込んだかのか?
不明です。

手掛かりは
七枝刀 と 広開土王碑
広開土王碑 によると
391年 倭が海を渡り百済・加羅・新羅を破り、臣民となしてしまった。
396年 広開土王みづから、倭の「臣民」となった百済を討った。
399年 新羅に倭兵が侵入したと聞いて新羅の救援を約束した。
400年 新羅救援のため5万の兵を派遣し、逃げる倭兵を追って任那加羅まで追撃した。
404年 倭の水軍が帯方界にまで侵入したので、広開土王みづから兵を率いて倭に壊滅的打撃を与えた。

朝鮮半島南端は 佳那 で倭国の支配する地域だったようです。
朝鮮半島ですので、既に 馬 もいたでしょう。
最初に筑紫が佳那を経緯して百済へ信仰
百済とは和睦(?)友好関係が出来たようです。
筑紫に感化された出雲は水軍を使って新羅へ信仰
筑紫・出雲 VS 百済・新羅 の戦いは
3百年代末期には成功するも
4百年代初期に引き上げる事になったようです。
この時に、朝鮮半島の金銀を使った宝飾品
馬などが日本へ持ち込まれたのではないでしょうか。
逆に糸魚川のヒスイが新羅で発見されています。
その後も百済や新羅の王が倭国へ人質として子を差し出しています。
その際には多数の金製の冠や馬なども持ち込まれたのでしょう。
筑紫(沖ノ島)、大和の古墳、新羅の古墳から出土した四枚花びらの指輪
この時代の品ではないでしょうか。


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