古代日本の歴史を謎解き

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伊勢神宮の始まり「倭姫命への神託」

2019-10-14 12:49:26 | 歴史
さて、本題です。
準備として
まずは、日本神話の流れを
神社は古代を知る手掛かり
からご覧ください。

まずは、伊勢神宮の始まりからです。

垂仁天皇25年3月10日
垂仁天皇は天照大神を豊耜入姫命から離して倭姫命に託した。
倭姫命は大神が鎮座する所を求めて、各地を訪問
その訪問先は、元伊勢と呼ばれています。
近江国に入り、美濃を廻って伊勢国に至った。
時に天照大神が倭姫命に教えて言うには
「この神風の伊勢国は、しきりに浪が打ち寄せる国である。中心ではないが美しい国である。この国に居りたいと思う」
と云う事で神宮の場所が現在の伊勢に決定されました。
時代的には
11代垂仁天皇(倭姫の父)
14代仲哀天皇(神功皇后)
16代仁徳天皇(最大の古墳)
26代継体天皇(筑紫蒼井の乱)
29代欽明天皇(仏教伝来、蘇我氏VS物部氏)
ですので
倭姫命に神託は、弥生時代ではないでしょうか。


ここで疑問を二つ
1、何故、奈良の地を離れる事にしたのか
古事記、日本書紀の説明は
百姓の流離や背叛など国内情勢が不安になった際、
天皇はその原因が天照大神・倭大国魂神の2神を
居所に祀ったことにあると考えた。

=>倭大国魂神は四国の国津神信仰
  出雲も同じ国津神信仰
  近畿の土地に
  天津神 天照信仰は難しかった。
  地元の王を信仰する古墳時代には
  受けれいられられません。
2、何故、伊勢の土地なのか
しきりに浪が打ち寄せる国である。
中心ではないが美しい国である。

=>四国、近江、滋賀と90年をかけるが
各地の地元信仰が強く、天照信仰は難しかった。
出雲と大和の反対側に、朝日が昇る伊勢へ

意図的であったのかは不明ですが
太陽神である 天照を祀るには太平洋側の朝日が昇る地域がふさわしい。
地元のご先祖(大国主命)を祀る出雲が西方の日本海側にあった。

もちろん、仏教建築などが伝来する前ですので
現在の伊勢神宮の建物ではなく、出雲同様
高床式の社に天照から授かるご神体が祀られます。
伊勢には、天照信仰に似た太陽信仰があったのでしょう。

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