古代日本の歴史を謎解き

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魏志倭人伝~古墳時代~隋書、唐書 まとめ

2020-03-29 14:13:24 | 歴史
倭国の3世紀を紹介している魏志倭人伝
・帯方郡から女王国にいたるのに一万二千余里
・帯方郡から末盧国まで一万里、伊都国、奴国、不弥国まで数百里
・その南に21国
・その南に邪馬台国
・その南に狗奴国
・周旋五干余里、女王国の東(方)に、千余里を渡海すると、また国がある。みな倭 種
邪馬台国を含む倭国は九州北側半分くらいで間違いないでしょう。
・南(行)して投馬国(とまこく)にいたる。水行二十日である。
 は帯方郡から水行二十日で出雲ではないか。

後の古墳時代、九州でも国がまとまります。
末盧国、伊都国、奴国、不弥国、南の21国がまとまり筑紫
九州は豊国、肥国、熊襲国の四つに分かれる。

隋の時代(600年頃)
・中国と交流したのは三十余国
・国境は東西は五ヶ月行、南北は三ヶ月行でそれぞれ海に至る。
・地勢は東が高く西が低い
対馬、一支国など島々+九州の4国+出雲や安芸、吉備+四国の4国など
近畿は含ます。
隋の時代に、突拍子な国書を送ったのは大和の聖徳太子
しかし、その場所は明らかにせず。
・日が昇るところの天子が書を日の沈むところの天子に届けます。
当時より
昼間(太陽神)と夜神の信仰があったようです。
太陽神 天照大神 と 黄泉の国 信仰の事だと思います。

唐書の時代(700年頃)
近畿の大和朝廷が国名を日本にする。
九州などの旧倭国陣営も賛成
西日本全土が日本となる。

しかし、まだ疑問が残る部分が
近畿の大和朝廷が、何故
ヤマト と呼ぶ名前を使ったのか??
邪馬台国 の邪馬台(ヤマト)が使われたと思いますが
如何でしょうか?

この後に「古事記」「日本書紀」が作成されますが
目的は。天皇家の正当性です。
しかし、九州の筑紫も出雲も無視できない状況だったのでしょう。
・天孫降臨の地は九州の高千穂
・神武東征の出発地は宮崎の日向
・天照の兄弟 素戔嗚が作った国は出雲
※天空の神様が住む国 高天原は昔の倭奴国
ヤマト朝廷が
・西日本を統一する為に配慮したのか
・事実伝承が残っていたのか
・大陸の史記を参考に九州(玄界灘)~山陰(出雲)を組み込んだ
但し、邪馬台国や卑弥呼など大陸の史記に登場する国や人名は
一切使っていません。
当時の天皇家を頂点にした上
西日本を統一する為に
最高の史記ではないでしょうか。
※但し、年代などはかなり出鱈目ですが・・・

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