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「楽宮ホテル」の下で食べた日本食の味は? 【連載】呑んで喰って、また呑んで㊽

2020-06-03 13:18:06 | 【連載】呑んで喰って、また呑んで

【連載】呑んで喰って、また呑んで㊽

「楽宮ホテル」の下で食べた日本食の味は?

●タイ・バンコク

山本徳造 (本ブログ編集人)  

 


 外国に長く滞在していると、日本料理が無性に食べたくなるときがある。
 40年ほど前だったか、ある週刊誌の取材でバンコクへ。原稿を書き上げて航空便で送ったのだが、日本に帰るのが面倒になり、結局、半年ばかり滞在することになった。
 しばらくすると、タイ料理にも飽きて日本料理が恋しくなるのも自然の成りゆきだろう。そこで度々お世話になったのが、タイ国日本人会の食堂である。「安くて美味い」と評判で、焼き魚定食やトンカツ定食に嬉し涙を流したものだ。
 でも、たまにはちゃんとした日本料理屋で食事をしたくなった。ある日、清水の舞台から飛び降りる決意で、当時は名店と言われていた日本料理屋「大黒」の暖簾をくぐって刺身定食を注文した。感動の味である。翌日、大手新聞の特派員に路上でばったり会ったところ、
「昨日、『大黒』で食事をしたんだって?」
 と驚きの表情で詰問された。
 どうやら私が高級日本料理屋で食事をしていたのを、誰かに目撃されたらしい。貧乏ライターと高級日本料理店の組み合わせが、よほど面白かったのか、瞬く間に特派員連中に伝わったようである。しかし、こんな店で食事をするなんて、私の性に合わなかった。無駄遣い以外の何ものでもない。反省することしきりである。
 泊まるところにも、カネはかけなかった。バンコクで定宿にしていたのが、超安宿として知られる楽宮大旅社(楽宮ホテル)。日本人バックパッカーに人気で、ファランポーン(バンコク中央駅)から徒歩で10分ほどである。確か、1泊500円ほどだったか。タイ語でローンレーム・サンティパープ。つまり、「平和ホテル」という意味だが、日本人の誰もが「ラッキュー」と呼んでいた。
 この連載で冒険作家の谷恒生さんが登場したが、彼をこの安宿にも連れて行ったことがある。よほど興味を引いたのか、帰国して間もなく、谷さんはこのホテルを舞台に小説『バンコク楽宮ホテル』を書く。この本が旅行好きやバックパッカーの間で話題を呼び、一躍伝説の安宿になった。
 さて、楽宮大旅社の近くにはヤワラーという中華街があり、呑み喰いするには、便利な場所である。この宿の1階には「北京飯店」という名の食堂が。いかにも中華料理店らしき名前だが、「これぞ、中華だ!」という料理には、一度もお目にかからなかった。
 その代わりと言っては何だが、日本人宿泊者が多いので、日本料理も何種類か出していた。野菜炒めをはじめ、トンカツ、味噌汁、冷奴もあったが、その不味いこと不味いこと。もし、タイで「不味い罪」という法律があれば、経営者は逮捕されるに違いない。ま、短くても懲役10年が適切かも。
 そんなことを私が想像しているのに、スワニーは楽しくフライパンをガチャガチャと振り、味噌汁の鍋を沸騰させ、汚い床に落ちた竹輪を拾って皿に盛る。悪びれた様子はみじんもない。それどころか、いかにも楽しそうである。
 いかん。言い忘れたが、スワニーとは、その店を経営する30代後半の女性である。彼女がなぜ日本料理まがいをお客に提供しているのか。日本人宿泊者が多いこともある。しかし、この宿に長期滞在している事情通によると、
「彼女には日本人の彼氏がいたけど、突然、日本に帰ってしまった。それ以来、音信不通らしい。で、日本料理を出すと、その日本人がこの食堂に来るかもしれないと思っているらしい」
 何ともいじらしいではないか。が、不味いのは許せん!
 困ったことに、その店をまったく無視することができないのである。2階の宿に出入りするには、必ず北京飯店を通らなくてはいけないからだ。それに私は、人一倍人情が厚い。たまには食べてあげないと、かわいそうではないか。
 体調が悪くて一歩も外に出ることができないときは、日本円で10円もしないお粥(カオトン)を食べてあげた。また、ヤワラーの屋台でメーコン・ウイスキーを痛飲して戻ったときは泥酔状態である。そこで間違って、冷奴とビールを注文したことも二度、三度とあった。翌朝、どれほど後悔したことか。
 10年以上も前だったか、日本のあるテレビ番組でその北京飯店を紹介していた。懐かしいスワニーも登場して、こんなことをしゃべっていた。
「最近、日本人はあまり上のホテルに泊まりに来なくなった。昔は大勢、この店にも来たわね。私が作った日本料理を食べに。みんないい人ばかりだったわ」
 何か勘違いしているようだ。いや、それもいいかも。ずっと勘違いしていたほうが、スワニーも幸せだろう。
 その翌年だったか、私はバンコクを訪れる。楽宮大旅社がどうなっているのかも知りたかった。2階と3階のホテルは営業していなかったが、スワニーの食堂だけは細々と営業していた。
「もう日本人、誰も来ない…」
 と、スワニーは元気のない笑みを浮かべるのみである。
 それから数年後、彼女は店を畳んだらしい。今、どこで、何をしているのやら。しかし、あの北京飯店も楽宮大旅社で巡り合った日本人には、面白い人物が多かった。次回は彼らに焦点を当ててみたい。(つづく)


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