天地は万物の逆旅なり 光陰は百代の過客なり
やや顔出し
おー
早い早い この簡1分程度
まさに地球というか 宇宙は生き物 動いている
なに故に地球は自転する?
どうして太陽の光源はなくならない?
なぜ月と地球の距離は一定?
なぜ?
なぜ?
なぜ?
何年生きていても 謎は謎のまま
科学? そんなものはただの理屈 現象を言うだけ
科学万能? なら問う。 何のために何の力で地球は動く? どうだ!?答えられないだろ?
科学では何にもわからないんだよ
そこには結局神しか存在しない
やはり 神
大きな水車である 昔はこんなもので米などの精米していた
水車のある場所は そう多くはない これは以前訪れたところ
水車で仕上げた米は どの精米よりもおいしい と聞く
夏の風物詩
今年の夏は異常に暑い 都会のヒートアイランド現象が国家的に広がったのだろうか
都会はアスファルトやビルで固められて熱の逃げる場所がまるでない
木がある所はいくらか温度も低い もっと緑を増やすべきなのだろう
しかし、緑は虫なども呼ぶし、一長一短あるから難しい 大きな木になると風で倒れたりもする
まことに人間の生活する環境は難しいものだ
便利さは同時に不便さも生む 都会は便利さが勝っていて人は集中する
自然環境抜群の所は また 不便でもある 草木の手入れなども大変なもの
できれば自然環境のところで便利な生活 これこそが望むところだけれど そんなのない
贅沢はキリがない
遅く成った夜明け もう6時近くにならないと陽が昇らない
しののめとは篠 即ち竹の葉の間から見た登る朝日のこと と聞いた
木漏れ日にロマンを感じる 昔はなんと多感な人が多かったことだろうか
こんな雄大なながめを この我が家から拝見できる幸せ
普通は 近所の建物とか電柱諸々の施設が邪魔してこんなに広々とした景色は見られない
今まで住んだどの家からも こんな景色は見たことない
いやあ幸せ 恵まれすぎ
いつのまにか こんな家に恵まれた 何かの導きでこうなったとしか言いようがない
運がなければ どんなに頑張っても そうはならないことは 今までの体験が示している
これからも運気運勢が上昇するように 天に今日も願った
人生悲喜こもごも どんなに嬉しかろうが悲しかろうが 明けない夜はない
悲しい場合が多い人生は、じ~っと耐えれば必ず陽はまた昇る どんな人のところへも。
つらい厳しい冬だって 必ず春は巡ってくる。
春が巡らずに一生を終えたという人がいるなら、それは時間が短か過ぎたのだろう
明るい春を手にするには 忍耐の時間が必要 長生きせねばならないだろう
短気は損気 辛坊しよう 辛い時間だろうけれど
雨だって三日も続いたためしなし 必ず晴れるんだから 時を待とう
「待てば海路の日和あり」 と言うではありませんか
これは 全部自分に対して言っている言葉です 別に聞いて貰おうなんて思っていませんので
実に久方ぶりに邪馬台国に関する私見を書きたい
新聞ではないから結論を書くのは早計すぎるので、控えるとして、巷間賑わいを見せた纏向遺跡
あれは邪馬台国ではないのは明白 纏向は大和王朝の時代であり 邪馬台国よりずっと後の遺跡であるといえる。 そもそも邪馬台国とは何なのか
日本の正史に寸分も登場しないのは何故か
魏志倭人伝東夷の条に登場する「当時の倭」について中国人が伝聞形式で書いた文書が、日本の歴史を揺るがすほどに江戸時代の新井白石が研究して以来侃々諤々と論争するになって久しい。
このような姿を目の当たりにした中国人達は、日本を下に見下す結果となっているのだ。なにかにつけて「小日本」だのという表現をして 中華すなわち中国の格下扱いをしている
それは、漢字が中国から渡ったとされる件や、仏教も中国から、或いは稲作も、呉服も呉服というくらいだから呉の国から伝わっただの、あるいは徐福が日本に来て文化そのものを伝播したのだとか、色んな事象から、中国は日本より格上だとの意識が働いて居るのは否めない。
この流れの一環に邪馬台国がある
邪馬台国 この大いなる疑問 いかがわしい存在
邪馬台国の邪。 表現のなんとまあ邪心にみちたことか。こころがねじ曲がっていること、とか あさましいなどの意味がある。 次に馬。 人間扱いではない馬。そんな字を当てている。尊敬に満ちているならば 弥満大国 とでも表現したらどうなのか?
この邪馬台国の記事はあくまでも伝聞記事なので、日本人の発音を聞いて漢字に当てたにすぎないから、できるだけ卑下したあさましい漢字の地名ばかりを並べている。
対馬の馬。一大國。末廬國。伊都國。奴國。 投馬國。邪馬台国。斯馬國。etc
どれをとっても見下した地名ばかりあてている。僅かに伊都国だけが王国のような表現をしているが、それは魏の使者が往来する国、即ちここまでは中国人は実際に来ていたことになるから、卑下した表現はしていないのであろうか。
中華思想というのは昔から中国こそが世界の中心という考え。 それ以外はみんな野蛮人、野蛮国という考えだ。東西南北どこをとっても卑下している。南蛮、東夷、北奴など
だから当然日本に対しても従属を求めていて、卑弥呼の時代には朝献した とある。
北九州の具体的な国名を挙げられては、魏志倭人伝を無視するわけにもいくまいが、充てた国の名が、甚だお気に召さない。やたらに動物の名とか野蛮な名は、日本を相当卑下したことになる。
それをまことしやかに研究しようとは思わない。わが日本というのは中国4,000年の歴史というけれど、それに負けず劣らずの歴史がある。戦後日本神話はすべてを嘘であるという風潮で没にされている傾向があるが、これは自分をくさす行為であるとしか思えない。天皇家は世界一の伝統があるが、それさえもあまり尊重されているとは思えないのである。
続く
今朝も晴れ 太陽が南進した 夏至はやや左の山頂からだったのに 右斜面寄り即ち南
ということは、もう寒冷化に向かう筈なのに 気温は右肩上がり
まだまだこれから暑くなるらしい
まあいいや なるようにしかならない
下の写真は この前の豪雨で斜面がえぐられているところ 幸い被害はないようだ
自然の猛威を感じる と友に 人間は自然には無力
自然即ち神 その意志が何を表わすかを読み取る必要がないか