この日は北区の中州に出来た街、
「中之島」を散策しました。
先週も中之島をウロウロしてたけど
今日もウロウロする気です。
ここは中之島の西側にある
京阪・中之島駅。
……の南側の道路。
この道を歩いていると、
壁の境目に作られた柵の所に
案内板のようなものを発見。
『なんやろな?』
『なんかあるでーあそこ』
一緒に来た嫁のまーさんが
なんやなんかと言うので
案内板に近づいてみることに。
案内板。
さらに柵の奥をのぞいてみると
石碑が置かれていた。
モコモコした形の案内板。
「慈雲尊者 顕彰碑」
と書いてある。
『何て読むんだろう?』
『何やろなぁ…。
じうんそんじゃ…とか?』
『そんな「祇園精舎の鐘の声」みたいな
読み方でいくの?』
『知らんわっ!
ほんなら何て読んだらええねんっ』
『うーん…』
『じうんそんじゃ…とかかな?』
『一緒やんかっ!
ドヤ顔すんなっ!!』
後から調べてみたところ、
「じうんそんじゃ」で合ってたようです。
説明文を拡大したもの。
詳しくは写真をご覧ください。
他の史料と合わせた内容を
簡単にまとめて記していきます。
「慈雲尊者 顕彰碑」
※(じうんそんじゃ けんしょうひ)
「慈雲」は江戸時代中後期の仏僧。
「慈雲尊者」や「飲光」とも呼ばれる。
※(飲光=おんこう)
享保3年(1718年)、当時この地にあった
「高松藩蔵屋敷」で生まれ、
生涯にわたり釈迦の教えを説いた。
十の善行で人徳を積むことを説く
「十善法語」という書物の著者。
※(じゅうぜん ほうご)
文化元年(1804年)、87歳で生涯を閉じる。
江戸時代の僧侶・慈雲尊者さんの
生誕地だったため、
ここに顕彰碑が建てられたようです。
それにしても、先週の記事で紹介した
「高松藩の蔵屋敷」で
生まれた人物だったとは。
こちらは先週の記事に出てきた
「(高松藩)蔵屋敷跡」の碑。
「慈雲尊者 顕彰碑」のある場所から
ほんの少し西へ歩いたところにある。
無関係な設置物だと思っていた
石碑同士が繋がってくるのって
なんだか面白くていいですね。
案内板左側は慈雲尊者さんの書。
僧侶でありながら
書家としても優れた人物だったようで、
現代にも書が残されています。
こちらは
「道在近」と書いてあり、
「道在近」と書いてあり、
※(どうざいじ)
「己のやるべき道は、身近にある」
という意味なんだそう。
……なかなか心にくる。
「DIYをやるんだ!」と意気込んで
大量に壁紙リメイクシートを購入して
そのまま放置している
自分の心にグサッとくるね。
こちらが顕彰碑。
……それと横に設置された何か。
モコモコの案内板によると、
顕彰碑は平成24年12月に建立。
慈雲尊者さんは
「真言宗」という自身の宗派以外にも、
※(しんごんしゅう)
「密教」や「神道」なども学び
研究されていたとのこと。
一つの考えに捉われず、
広い視野で柔軟な思考ができる
僧侶さんだったんですね。
顕彰碑をアップで撮影。
「慈雲尊者 生誕之地」
と刻まれている。
柵内にあるため、
正面しか確認できなかった。
横に設置された何か。
『アレはなんやろな?』
『顕彰碑と関係あるのかな』
『丸い穴が空いてて、
上の部分が二股になってるね』
『おやつのカールみたいやな』
『そういえば、カールのカレー味
最近見ないなぁ…』
『あれがカール界で一番美味しいのに』
『いや、チーズ味やろ』
『…は?』
『…あん?』
醜い争いが始まりました。
人としての徳を積むための
説法「十善法語」を著した
慈雲尊者さんの顕彰碑の前で
かなりどうでもいい争いが始まりました。
顕彰碑が設置されているのは
「ラソールガーデン 大阪」
という結婚式場。
江戸時代の僧侶・慈雲尊者さんが
生誕した地に建てられた
「慈雲尊者 顕彰碑」。
近くを通り掛かった際は
ぜひ眺めていってください。
※この記事の写真は2019年1月に撮影したものです。
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【慈雲尊者 顕彰碑】
最寄り駅は
京阪電車・中之島駅
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