この日は大阪城の南東に位置する

大阪メトロ・森ノ宮駅の周辺を散策。


駅のすぐ近くにある、

「もりのみやキューズモール」

最寄りとなる2番出入口から出て

に向かって歩いていると……。



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左手に見える大きな建物の壁に

史跡を示す案内板

設置されているのを発見。



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案内板があったのは

「森ノ宮ピロティホール」


建物が大きすぎて

全体が撮れませんでした……。


このピロティホールって何だろう?

結構大きなホールやで。
学生の頃に演劇とか見に来たことある。

ほー、そうなんだ。
じゃあ地元では知られた場所なんだね。

有名ってほどでもないと思うで。


一緒に歩いていた

嫁のまーさんの話によると

大きな市民会館みたいな感じらしい。


例えがよく分からん……。



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さっそく史跡の案内板を確認。

「森の宮貝塚」

と書かれていた。


大阪城のすぐ南に

どうやら貝塚があったらしい……。


貝塚なんてあったのか!?

えー!?
そうやったんや!

え…知らなかったの?

今、初めて知ったで。

ピロティホールのことなら何でも知ってるって…。

言うてへんわ!


ちなみに「貝塚」とは、

縄文時代~弥生時代の居住地に作られた

生活ゴミを積み上げた場所のことです。


大雑把な説明をすると、

『貝塚=古代の遺跡』

ということになります。



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下側の案内板。

右側の発掘された縄文人の人骨写真が

ちょっとリアル……。



詳細については写真をご覧ください。

簡単にまとめた内容を

以下に記していきます。



「森の宮 貝塚」
※(もりのみや かいづか)

「森の宮貝塚(森の宮遺跡)」とは、
縄文時代後期~弥生時代中期にかけて形成された
貝塚遺跡のことである。

出土遺物から下層は縄文時代後期
上層は縄文時代晩期~弥生時代中期

当地を中心に
東西約45m、南北約100m、厚さ2mの規模で
上町台地 北端の東斜面に位置している。




古くは3000年以上前から

この地に人が住んでいたという痕跡!


大阪市のど真ん中なのに、

「大阪城」「難波宮」
※(難波宮=なにわのみや)

さらにはこの「森の宮貝塚」

森の宮は貴重な歴史的場所なんですね。



ちなみに貝塚が形成されていた古代は

大阪のほとんどが海の中で、

この辺りは入江だったそうです。

貝が採取出来たのも納得ですね。



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実は、案内板のすぐ隣には

「遺跡展示室 入口」

と書かれた表示があって……。



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すぐ横は

「遺跡展示室」となっている

地下への扉があります。



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こちらの遺跡展示室

公開日が決められていて、

春・夏・秋に一般公開されています。


タイミングが合えば

訪れてみたい……。



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「森ノ宮ピロティホール」の正面出入口。


実はホールを建築する際に

『貴重な遺跡を保存する』という方針が決まり、

遺跡を残す形で建設したそうです。


「ピロティ」は建築方式の名称で、

柱の上に建物を造る

いわゆる高床式の建築方法。


地下展示室となっている遺跡は

このピロティ式の建築によって

保存される運びとなりました。



「ピロティホール」の名称は

遺跡を保護した証でもあるんですね。



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「地下展示室」へ続く階段。

さっきの扉じゃなくて

実はここが入口なのかも……。



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古代の遺跡があったことを示す

「森の宮貝塚」の案内板



展示室が公開された時は

ぜひ足を運んでみてください。



※この記事の写真は2019年6月に撮影したものです。


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【森の宮貝塚】



最寄り駅は
JR環状線・森ノ宮駅
大阪メトロ・森ノ宮駅

「森ノ宮ピロティホール」が貝塚だよ。ピロピロー。