社会福祉士コラム

【小説風事例紹介】Hさんの盲目の世界での生き甲斐

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1.全盲のHさん

私が有料老人ホームで管理者兼相談員、デイサービスで生活相談員をしていた頃の話です。同じ建物の中に有料老人ホームとデイサービス、訪問介護が併設されており15名のご利用者様が生活していました。

 

ある日、有料老人ホームにHさんという男性の入所が決まりました。私は、入所が確定した時に初めてHさんのフェイスシートを見せていただく事になりました。

 

Hさんは30歳の頃までは何の障害もなく農協で働いていた方でした。30歳の頃に視野狭窄と視力低下の症状が見受けられた事から病院を受診すると、網膜色素変性症という遺伝子系統の病気であると診断を受けました。

 

それまで普通に出来ていた運転も困難になり、仕事もできなくなってしまったようです。N様はそこから2年間は何も出来ず、目が見えないという不安から精神的にも不安定になってしまったことで、精神科も受診し、不安症という診断を受けていました。そしてHさんは40歳の頃には全盲になられたようです。

 

また、Hさんはお父様を早くに亡くされていたことからお母様が営む食事処に併設されていた自宅でずっと暮らしていました。

 

その後は、お母様の献身的なサポートの末、点字を学び、あん摩マッサージ指圧師の資格を取得され、自宅での開業をされていた方でした。

 

Hさんは自宅の中も手探りや壁伝いで生活をしていました。そして普段は障害福祉の訪問介護サービスを利用していました。

 

Hさんは在宅でお母様と2人暮らしをしていましたが、お母様はHさんが62歳の頃に脳梗塞を発症し、特別養護老人ホームへの入所をしていました。

 

Hさんはそれから在宅で1人暮らしを選び、お母様が営んでいた食事処を貸店舗とすることで、家賃収入と障害年金、そして指圧師としての収入で生活していました。Hさんには3歳年下の妹様がいましたが、県外に嫁がれていたため中々Hさんをサポートすることは出来ず、昔からHさんを知る近所の方や店舗を借りられた方達がサポートすることが多かったようでした。

 

そして、65歳になったタイミングで、障害福祉サービスから高齢福祉サービスへの移行することになり、私たちの施設へ入所をされることになりました。

 

2.お話し好きなHさんと環境整備

事前契約を行うにあたって私はHさんと初めて面談を行いました。Hさんはとても気さくに話しかけてくれました。これまでの苦労や楽しかったことなど、色々と教えてくれました。Hさんは目の見えない環境の中で、音楽という趣味を持っていました。尺八やハーモニカの演奏、そして私が驚いたのは歌謡曲の音階や歌詞を暗記していた事でした。

 

HさんのADLを見て施設での生活には何の支障もなく、Hさんの気さくな性格を考えても他者とのコミュニケーションは円滑に行われるであろうし、Hさんと気が合いそうな御利用者様もすぐに数名思いつきました。

 

私の不安要素は1つだけでした。環境の変化です。盲目のHさんが35年間過ごして来た環境がすべて変わってしまうからです。

 

Hさんの社会はほぼ自宅だけの生活で成り立っていました。食事も貸店舗の食事処に依頼することで3食が賄えていたことや買い物も店舗の方が行っていました。自宅の中だけで完結していたHさんの生活が全てゼロからのスタートになるのです。

 

私は施設での生活についての説明を行うと共に、Hさんが施設でどのように過ごしたいかなどを聞き取りました。しかし、Hさんも施設での生活を行ったことがなく、施設がどのような場所なのかもわからないことから想像ができずにいました。

 

私はケアマネジャーとも相談を行い、施設に持ってこられるものなども未定であることや実際に施設で生活してみなければ必要となるものがわからないだろうと考え、今後の生活の中で徐々に揃えていくことにしました。

 

幸いなことに有料老人ホームからHさんの自宅までは車で10分程度の場所にあったことから、後で荷物を取りに行くことは容易でした。

 

私たちは施設に戻り、居室からトイレまでのルートの確保や食事を食べられる席の配慮などを行いました。

 

私はHさんの生活環境の中から大きなヒントを得ていました。Hさんはリビングの椅子から台所、トイレ、寝室に行くルートとして手に届く場所に数種類の紐を這わせていました。

 

細い糸をたどれば台所にたどり着く。釣り糸をたどればトイレにたどり着く。毛糸をたどれば寝室にたどり着くといった紐の太さで判断するというHさんの中での生活の知恵がありました。

 

私はこれを参考に施設内の手すりに同様のものを設置させてもらいました。トイレへの紐や食堂への紐などを設置し、普段は他のご利用者様の邪魔にならないように手すりと壁を固定している金具に引っ掛けるようにしました。

 

また、私の事業所所属のホームヘルパーがHさんに携わっていたこともあり、私はHさんの入所に関して必要になるであろう環境を相談して整えました。

 

3.Hさんの入所

Hさんの入所当日、妹様ご夫婦も来所され荷物を搬入しました。

 

Hさんに居室から各移動先への紐の説明を行うと、使用されながら「よく見てたね」と笑ってくれました。

 

Hさんに認知症症状はなく「できることはなるべく自分でやりたい」「コールで人を呼べるのはわかったけど…申し訳ないからあんまり呼びたくないな」と話していたので、このような小さな工夫はHさんのストレス軽減のためにも必要だと感じていました。

 

私は「ここに来てからでなければ分からないこともたくさんあると思います。でも、教えてもらえれば、こうやって工夫できるので気にせず必要なことは教えてください」と伝えました。

 

私はケアマネジャーからの話や面談を行った際に、Hさんの不安そうな一面を見ていました。誰しもが慣れ親しんだ環境を捨てるのは嬉しいものではないと思います。

 

私は同僚とも「Hさんが本当に困るのはこれからだろうから、色々考えないといけないのはこれからですね」と話していました。

 

私たちが行う小さな工夫で、ご利用者様のストレスの軽減を行うことが必要だと同僚に言い、小さな困った事でも特記記録として残してほしいと伝えました。

 

私たちはHさんの入所にあたって、その他いくつかの配慮を行いました。

 

一緒に食事やおやつを食べられるご利用者様も、Hさんと話しが合いそうな男性やお話し好きな方にテーブルに入っていただきました。

 

また、トイレが共有であることからHさんが使用されるトイレもあまり女性が入られないトイレへのルートを確保することで、盲目のHさんが使用中のトイレをあけてしまわれないようにと配慮していました。それもHさんが実際に生活される中で随時変更していけるように話し合っていました。

 

Hさんは入所当日から手探りでどこに何がある、何歩くらい歩くと目的の場所に到着するなどを一生懸命覚えていました。

 

覚える事においては人に対しても同じです。新しい環境で接する職員や、ご利用者様達もすべて新しい名前です。N様は「こりゃ覚えることだらけだわ」と苦笑いしていましたが、「新しい生活が始まったんだから俺もがんばらんといけんわ」とがんばっていました。私は「1日で全部覚えろって言われたら僕でもしびれると思います。ぼちぼちいきましょう」と笑って答えました。

 

4.Hさんの生活の変化と心の変化

Hさんが入所され4日が経ちました。Hさんは困った事にはナースコールを押したり、少しの余暇時間を使っては趣味の楽器演奏をしたりと、ゆっくり過ごしていました。

 

時には楽器演奏をしている音を聞いたご利用者様がHさんの居室を訪問され、リクエストの曲を演奏されたりとコミュニケーションを取りながら演奏していました。Hさんも一通りの演奏を終えると「わざわざ部屋まで聞きに来てくれてありがとね。また来てもらえるように練習しとかんといけんね」と、聞きに来られたご利用様に声をかけていました。

 

私はHさんに「大丈夫ですか?負担になっていなかったらいいですけど」と聞きましたが、「いや、うれしいし気晴らしになるよ。それに皆さんもなかなか生演奏を聴けることもないでしょ?」と答えていました。

 

Hさんは、新たな環境を覚える苦労を、音楽演奏することや他者との会話をすることで、ストレス発散にしていた様でした。

 

Hさんは月曜日・水曜日・金曜日は併設されたデイサービスを利用され、それ以外の曜日は有料老人ホームでゆっくりと過ごしていました。

 

入所されて2週間が経過された頃にはHさんは有料老人ホームでの生活に順応され、有料老人ホーム内も紐を使わなくても手探りで移動できるようにもなっていました。

 

5.Hさんのストレス

私が夜勤に入ったある日の夕食後、一度居室に戻られた後にHさんが再度食堂に来ていました。私は「どうされましたか?」と聞くと、Hさんは「少し話せるかね」と言いました。

 

他のご利用者様の居室誘導も終わっていたので、私は食堂のテーブルで話しを聞くことにしました。Hさんはデイサービスが楽しくないから行きたくないと話をされました。

 

詳しく話を聞くと、提供されているサービスがどうしても認知症対応の内容である事や、目の見えないHさんにはできない脳トレの時間などがあり、行っていても座っているだけの時間が長くあることを教えてくれました。

 

私もデイサービスの生活相談員を兼務しており、デイサービスで人手が足りない時には応援に入っていたことからデイサービスでの提供サービス内容はおおよそ把握していました。

 

確かにHさんにとっては退屈な時間が多くあるかもしれないと思いました。私は「Hさんはどうしたいですか?」と聞くと「施設の外からデイサービスに来られる方との話は楽しいし、同級生のお母さんがデイサービスに来てたからね。そうゆう人と話ができてる時間は楽しいけど…なにもできずにボーっとする時間は部屋にいた方がいいなとも思うんだけど、その時間は帰るとかはできないんだよね?」と話されました。

 

確かにデイサービスでは中抜けを行うことは基本的には行えません。そして、Hさんがデイサービスを利用される理由としては、他者との交流と入浴、そして筋力低下の防止で個別機能訓練を行っていただくことが目的でした。

 

私はその日の答えを出すことはできないと思い「なにか方法がないか考えてみましょうね」と伝え、翌日にケアマネジャーやデイサービス管理者と話し合いを行いました。

 

デイサービス管理者にHさんの様子を聞くと、脳トレなどの参加が困難な時間を使って入浴介助や個別機能訓練などを行っており、なるべく孤立する時間は少なくなるように工夫していると教えてくれました。

 

それでもどうしても退屈してしまう時間ができていたのかもしれないとのことでした。私たちはHさんのサービス内容について改めて検討する必要があると思い、Hさんを含めて担当者会議を行うことにしました。

 

Hさんの要望を事前にまとめるために、私とケアマネジャーはHさんとの面談を行いました。Hさんがデイサービスで楽しいと感じることは、カラオケの時間と他者とのコミュニケーションであることや、有料老人ホームでの有意義に過ごしている時間についても詳しく聞き取りを行いました。

 

6.デイサービスと音楽療法の役割

Hさんのデイサービス利用は月曜日・水曜日・金曜日の3日間からの変更はありませんでしたが、これまで9時から利用していたデイサービスを2時間短縮し、11時から16時15分までの利用することになりました。

 

10時から11時までの時間は、デイサービスでは脳トレを行われていたこと、昼食後から14時までの時間は、ご利用者様がゆっくり休んだりテレビを見たりと思い思いの時間を過ごしていたことから、13時半頃からの入浴を行っていただく事になりました。

 

そして、Hさんがデイサービス利用をされる中で最も大きな変化がありました。15時のおやつが終わった後にレクリエーションやカラオケを行うメニューだったのですが、毎週水曜日の音楽レクリエーションではHさんが伴奏を行うことになったのです。

 

Hさんは有料老人ホームでも「誰かに聞いてもらえる事はうれしい」と話していたことや、居室に聞きに来られたご利用者様が歌われるスピードにあわせて演奏していたことから伴奏をしてみませんかと提案したのです。

 

Hさんは「そんな大役ができるかな」と笑いながらも「発表会みたいで面白そう」と興味を持ってくれました。

 

Hさんを主体に行われる音楽療法が始まり、それは大成功でした。他のご利用者様も生演奏をとても喜ばれ、Hさんも演奏したり歌ったりととても喜んでいました。

 

Hさんが運営側に携わられた当日、私は有料老人ホームの夜勤だったことから、その日の夜にゆっくりと話を聞くことができました。

Hさんは演奏を失敗しないかと不安はあったのですが、その日ほど有意義に過ごせた日はこれまでになかったかもしれないととても喜んでいました。

 

その日からHさんの様子は大きく変わりました。時間があれば居室で楽器の練習をされるようになったのです。そして、Hさんはデイサービスの職員にも「皆さんはどんな歌が好きかね」と尋ねたり、私たちに「今度演奏する歌を覚えたいんだけどCDはないかね」など意欲的に行動するようになりました。

 

7.新たな環境と不安の軽減・意欲の向上

Hさんに限らず、施設入所をされるご利用者様の多くは慣れ親しんだ環境から新たな環境に入らなければなりません。そして施設に入所される方のほどんどが望んで施設に入所されているわけではありません。

 

多くの方が「家族に迷惑をかけられないから仕方なく」「人の手を取ってしまうようになって諦めるしかない」認知症の重度の方にいたっては自身の選択どころか、どこに連れて行かれるかもわからずに施設に入所されることもあります。

 

私自身も送迎を行っていた時に「どこに捨てに行くんかね」と聞かれた事もあります。環境の変化は高齢者だけでなく私たちにとっても不安とストレスがあると思います。新天地への引っ越しや転勤などにしても「どんなところかな」と不安に感じることがあると思います。

 

私は福祉の業界で働き始めた頃に先輩から「施設入所するってことは、僕らが言葉も食文化もわからない聞いたこともないような海外の国にいきなり連れていかれるようなものだよ。怖くないはずがないよね」と話されたのをよく覚えています。

 

Hさんも35年間という期間を同じ環境で過ごしていた中から突然、別環境に住むことになったのです。

 

私たちがご利用者様を新たに受ける際に行えることは何でしょうか。私は準備と想定だと思っています。

 

Hさんがこれからの人生での新天地として施設を選択された中で、少しでもこれまでの環境に近付けてあげられるように、準備することができます。

 

それは、Hさんの場合は自宅で生活できるように工夫していた紐であったり、新たに買い揃えるのではなく、使い慣れた家財道具を使用してもらったり、使用する中でも配置を検討することです。慣れ親しんだものがそこにあるという小さなことですら大きな安心感を生み出します。

 

家財道具などにおいては簡単に答えが出ると思いますが、Hさんの通路の確保などはHさんの元からの住環境を観察することや、Hさんがどのようにすればできるのかを観察する必要があり、それを施設の環境に組み込む弊害を想定しておく必要があります。

 

また、Hさんが自立でトイレに行かれた場合に他者トラブルにならないか、Hさんだけでなく、他のご利用者様の行動を制限してしまわないかと考えておかなければいけません。

 

その中で15名のご利用者様が円滑に生活できるよう、そしてそのサポートを行う職員の作業域も壊してはいけません。

 

Hさんは入所後に自身の抱えているストレスを口にしてくれました。しかし、ほとんどのご利用者様はこのストレスを我慢していることも知っておかなければいけません。

 

私はHさんから「デイサービスに行きたくない」と話をされた時に申し訳なさを覚えました。施設で生活相談員をしているにも関わらず、なぜデイサービスから戻られた際に「今日はどうでしたか?」と一言でも声をかける事ができていなかったのかと思いました。

 

Hさんは自分の気持ちを後から伝えることができたことから、私たちはHさんの想いを知ることができましたが、多くのご利用者様がそうではありません。こちらが表情や言動から察知することが必要だと思います。そして、ご本人様にとってのストレス軽減と社会参加のバランスを考える事も必要です。

 

私たちはHさんからのご要望があった際に、デイサービスを一切中止してすべてのケアを訪問介護に戻す選択肢もありました。しかし、N様は在宅よりデイサービス利用しているご利用者様とのコミュニケーションも楽しみにしていたのです。

 

私たちにはHさんの楽しみを奪うことはできません。そして更にはHさんがデイサービスの中で役割を持つことの重要性も考えなければなりません。

 

Hさんは65歳とまだまだ若く、これからの有料老人ホームでの生活をどのようにすれば有意義に少しでも意欲的生活を送っていくことができるかを考えなければいけません。

 

Hさんはデイサービスを11時からという時短で利用されることで9時から11時は楽器の手入れをゆっくり行うことやリハーサルを行うという楽しみを新たに見つけられました。そして新しく演奏できるレパートリーを増やしたいという意欲に繋がってくれました。

 

Hさんの意欲の向上を促すこと、役割がHさんのストレスにならないようにすること、Hさんがよりよいと感じられる環境を提供できるよう日々の観察と聞き取り、そして支援を行わなければならないと思います。

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