正しいとは何か?を探究すれば、必ず「理(ことわり)」という言葉が出てきます。「正しい、善」を検索すれば「道理に適っていること」と書いてあります。理と道理は同じものですが、これがまたよくわからない言葉なのです。「理、道理」とは一体何なのでしょうか? この理(ことわり)、道理を理解することは物事を考える上において、とても大切な事ですからこれについて考えてみます。

 

それでは「理」を検索すれば・・・・物事の筋道。条理。道理。原理。理法。理屈。不変の法則。もっともな事。当然であるさま。

などと書いてあります。昔のギリシャなどではこれをロゴス(理法)と言います。ロゴスとは理(ことわり)のことです。

 

「理、道理」とは基本的に物事の筋道ということです。しかし「理とは筋道である」と言われても、まだピンときません。筋道と言えば「筋が通っている」などと使います。筋とは線であり一つの細い道ということです。その筋の道は「正しい目的へ続く道」です。一つでも筋道を間違えれば筋が通らずに「正しい目的地」に辿り着くことはできません。しかし常に正しい筋道を辿って行けば必ず目的地に辿り着けるのです。

 

筋道が通っていれば必ず「正しい」に通じますので、結局は道理、筋道とは「正しい」と言う意味なのです。また理とは「もっともな事、当然であるさま」とも書いてあります。「もっとも、当然である」ですからこれも「正しい」ということなのです。

つまり「理」=道理=筋道=法則=原理=当然であるさま=「正しい」ということなのです。つまり簡単に言えば「理」とは「正しい」と言うことです。

辞書にも「正しいとは理に適っていること」と書いてあります。「適っている」とは合致している、つまり「=」と言う事です。ですから辞書にも「正しい」=(適っている)「理、道理」と書いてあるのです。結局は理、道理とは「正しい」ということなのです。

 

そして理には物の理と人の理があります。例えば、物の理とは「水が高いところから低いところに流れるのは物の道理」です。また人の理とは「人が困っていれば助けたくなるのは人の道理」です。このように道理という言葉には物の理と人の理を含んでいるのです。

「春になれば花が咲くのは道理である」「水は高いところから低いところに流れるのは道理である」などと言いますが、この物の道理は経験により知った「当然である、常識的な事」なのです。何故、春になれば花が咲くのか? その理由はよく分かりませんが、みんなが経験上知っていて「そのようにあるもの、そのようにしか考えられないもの」なのです。

 

また「人が笑えば、自分も笑いたくなるのは道理です」「朝になれば目が覚めるのは道理です」これらの人の道理は経験によるものではなく経験以前に私たちが本能的に持っている「理」です。これを先験的(アプリオリ)と言います。

何故、困っている人がいれば助けたくなるのか? これもその理由はよく分かりませんが本能的にそのようになっているのです。「そのようにあるもの、そのようにしか考えられないもの」を「理(ことわり)」と言うのです。

 

つまり「理、道理」とは、当然そのようにあるもの、当然にそのようにしか考えられないもの、を言うのです。日が暮れれば、当然暗くなるのです、そのようにしか考えられないのです。日が暮れれば明るくなるとは考えられません。何故なら私たちはそのような経験がないからです。また人が笑っていれば、当然こちらも笑顔になるのです。これも何故か分かりませんが本能的にそのようになるのです。笑っている人がいればこちらは悲しくなるなんてことはないのです。何故なら本能的に、そうはなっていないからです。道理は本能的なものですから理性的に言葉で答えることは難しいのです。

 

理とは何故、そうなるのか、その理由はよく分からないが、「当然にそのようにあるもの、そのようにしか考えられないもの」を言うのです。「理」とは皆さんが経験的、または本能的に「当然そのようになるもの」と認めているものですから、当然にそれは「正しい」となります。皆さんが「それは当たり前だ、常識だろう」と認めているもの、客観的なもの、それを「理、道理」と言うのです。

 

そして皆さんみんなが「当然だ」と認めていることですから、それは「間違いのない、絶対的に正しい」となるのです。そして道理はみんなが当然だ、当たり前の事だと思うのですから、みんなが認めているものでありますから、それは客観的に「絶対的に正しいこと」と言うことなのです。

 

道理と言ってもいろいろありますが、特に時代を超え国や民族を超えて普遍的と思われる道理は絶対ではなく絶対的に正しいとしてもいいのです。このような絶対的に正しいと認められている道理を前提にして論理的に議論をすれば結果も勿論、絶対的に正しい結論を導くことが出来るのです。ですから「理(ことわり)、道理」を理解することはとても大切な事なのです。

但し、道理は普遍的に正しい、絶対的に正しいとは言えますが絶対に正しいとは言えません。絶対に正しいものは真理と言うのです。真理とはイデアのことです。イデアは絶対であり時代や国や場合などあらゆる一切の条件でも絶対に変わることはないのです。