管理人が妄想したシーンやシチュエーションをショート・ストーリー(?)にしたもの。
ジャンルはファンタジー・恋愛などなど。
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自分は、父のことをあまりよく知らない。
死に別れたわけでも海外へ赴任しているわけでもないのだが、父はいつも仕事に忙しく、家に帰って来てもあまり喋らない。
だから、未だにどんな人間なのか、いまいちよく分からずにいる。
元々無口で、真面目なだけが取り柄なのだと、母は言う。
それを聞くたび、あまりよく知らないはずのこの人との、血の繋がりを意識する。……自分も、思いを口にするのが得意ではなく、周囲からは真面目と評されがちだから。
あまり嬉しくない遺伝だと、いつも思ってきた。
真面目、堅物、融通が利かない――どれも、同年代の間ではあまり好まれない性質だ。
自分たちの年代なら、ノリが良くて面白くて、ちょっと不真面目なくらいの方が、ウケが良い。
自分だって、そんなことは理解している。
だが、間違っていると知りながら、わざとルールを破ることなど、自分にはできない。誰かに迷惑がかかると分かっているのに、あえてふざけることなど、自分にはできない。
“良い子”に見られたがっているだとか、真人間を目指しているだとか、そういうことではなく、これはきっと、ただ単に、そういう性格に生まれ育ってしまったというだけの話なのだろう。
自分はたぶん“感情”よりも“理性”の方が強くできている。
周りの人間が「遊びたい」「面倒くさいことはやりたくない」と“感情”の誘惑に負けるような時も、“理性”がブレーキをかけてくる。「ここで遊んでしまったら、後で苦しむことになる」「面倒くさくてもキチンとやらなければ、皆や自分自身が困ることになる」と、未来の予測を突きつけて、ラクな方へ逃げようとする自分自身を諫めてくるのだ。
真面目という評価は、同年代からは不評でも、目上の人間の心を掴むのには役立つ。
そのことに味を占めて、普段の自分以上に真面目ぶろうとしていた時期もあった。
あれは確か、小学校3、4年の頃。
初恋とも呼べないような淡い“憧れ”を抱いていた担任教師に、“特別な生徒”と思ってもらいたい一心の、不純な動機によるものだった。
先生を困らせる“問題児”を厳しく注意し、嫌われ役を買ってでもクラスをまとめれば、先生の感謝と信頼を得ることはできた。
だが、自分が本当に欲しかったものは、
先生がクラスの誰より
甘えのような反抗を繰り返す“問題児”に、先生は何度も辛抱強く向き合い、何ヶ月もかかって、ついにその心を少しだけ開かせることに成功した。
初めてそいつが素直に先生の言うことを聞いた時、先生は何とも言えない表情をしていた。
苦労がやっと報われたような、嬉しさを抑えきれないような、込み上げる何かを必死に我慢しようとしているような、そんな表情。
それを見て、悟ってしまった。
自分が本当に先生から向けてもらいたかった感情は、これだったのだと。
ただ「イイコね」と微笑まれるより、本気で心を動かして欲しかった。どうしてソレをされるのが、自分ではなくあいつだったのだろう。
自分の方がずっと、先生のことを好きだったのに。自分の方がずっと、先生の役に立とうと頑張ってきたのに。
どうして、ずっと先生を困らせ続けて、最後の最後にチョロっと改心しただけの奴に、欲しかったものを奪われなければならないんだ。
元から真面目な性格だからと言って、真面目でい続けるのが辛くないわけじゃない。
誘惑に負けにくいからと言って、それに魅力を感じていないわけじゃない。本当は、怠けたい気持ちも、ラクをしたいという気持ちも、普通に持っている。
他の誰かが何も考えずに許しているそんな“甘え”を、許さずに、流されずに、一つ一つ葬り去っているだけだ。
なのに、それが周りから評価されることはない。評価されたとしても、好きになってもらえるわけじゃない。
ならば、真面目に生きることの意味とは何なのだろう。
それからも何度か、似たような思いを繰り返した。
真面目な人間は何かと、損な役回りを押しつけられる。責任ある役目や感謝の言葉はもらっても、クラスの“人気者”になれるわけじゃない。
それどころか“真面目にやりたくない”人間たちからは、馬鹿にされたり煙たがられたりする。
こんな何の得も無い性格、捨ててしまいたいと何度思ったか知れない。
だが、人間なんて、そんなに簡単に変われるものじゃない。
……あれは、中学の頃だっただろうか。
部屋に籠もりがちになって、家族に対する言動が荒れていた頃。普段は滅多に話さない父が、珍しく話しかけてきた。
「これまでほとんど話もしたことないくせに、何を分かったようなことを言うんだ」と荒んだ心で反発して、聞く耳を持たなかったはずなのに、何故だかその時の言葉が、心の奥の奥に沈みこんで、今もそこに横たわっている。
父は言った。「真面目に生きることは、自分を殺すことじゃない。むしろ自分を生かすために、真剣に人生と向き合うことだ」と。
「人間は結局皆、自分のことだけでいっぱいいっぱいで、他人のことなんてあまり見ちゃいない。人知れずやった努力や善行を、見出して称賛してくれる人なんて、現実にはほとんどいない。誰かに褒められてくて真面目に生きようとするなら、そんなのは空しいだけだ」と。
「だが、その真面目さは、必ずこの世界に必要なものだ。どんなに優れた能力や才能があったとしても、役目を放棄しラクな方へ逃げる人間に、この世界は支えられない。どんなに地道でも、目立たなくても、真面目にコツコツ己の役割を果たす人間がいてこそ、この世界はきちんと機能していくんだ」
……言いたいことは何となく分かったが、当時その言葉を素直に受け入れるには、心が傷つき過ぎていた。
あの時の自分は、真面目にコツコツやってやっとレギュラーを掴んだ野球部を、一部の部員の軽率な行為により活動停止に追い込まれ、空しさのどん底にいた。
現実というものは『アリとキリギリス』の寓話のように“不真面目な奴の自業自得”で終わってくれるとは限らない。
真面目な人間が積み上げた努力が、巻き添えで全て台無しにされることもある。
真面目に生きるなんて、ただただ馬鹿らしい……そんな風に思っていた。
ある日、父は頬に盛大な青アザをつけて帰って来た。
酔った客に絡まれて、殴られたのだと言う。
父の仕事は駅員だ。夜も遅い時間になれば、そういう客も少なくない。
それだけでなく日中も、歩きスマホに、列車が近づいて来ても点字ブロックの外をフラフラ歩く人、ホームから身を乗り出して写真を撮ろうとする人……“安全”のためのマナーでも、守ってくれない人は結構いる。そんな客を注意すると、逆ギレされて攻撃されそうになることもあるのだとか。
「それでも注意をしなければ、そういう行為は本当に、重大事故に繋がりかねない危険なものだから」
父はそう言うが、空しくないのだろうかと思う。
相手の命を気遣って、相手を想って注意しても、それを恨まれ攻撃される。
トラブルで電車が遅れでもすれば、急ぎの客に苛立ちをぶつけられる。
普段どんなにコツコツと真面目に正確な運行を守っていようと、ひと度何か起これば、そんな“それまで”の蓄積など最初から無かったかのように、ただただ責められる。
「仕事だからな。楽しいことばかりじゃない。だが、誰かがやらなければならないことだ。……ま、こんな性格でもなけりゃ、とうの昔に辞めていたかも知れないけどな」
父はそう言って、自嘲するように小さく笑っていた。
真面目なだけが取り柄の父が、その後も仕事を辞めずに働き続けたおかげで、自分は無事に高校を卒業し、この春には大学生になる。
初めて実家を離れることになって、近頃ふと感傷的に、過去のことをあれこれ思い出すようになった。
中学生だった自分に父がくれたあの言葉も、あの頃とは違う気持ちで思い出す。
今にして思うと、あれは父が自分自身へ向けて言った言葉でもあったんじゃないか、と。
息子より何十年も長く真面目な性格を生き続けてきた父が、その人生の中で見出した“答え”――あるいは、人生に対してつけた“折り合い”のようなものだったのではないか、と。
あの時、父はこうも言っていた。
「誰からも褒めてもらえないなら、せめて自分自身くらいは、その真面目さを褒めて、誇ってやらなきゃ駄目だ」と。
そう言えば息子の自分でさえ、父のことを褒めたり称えたりしたことはない。
それどころか、感謝の言葉でさえ、ろくに言ってこなかった気がする。
それでも父は、自分自身に対する誇りを支えに、その生き方を貫いてきたのだろうか。
誰からも称賛されず、光も当てられず……それどころか時に理不尽に罵倒されたり、馬鹿にされたりしても……それでも、ただ黙々と己の役目を果たし、家族を支え続けてくれたのだろうか……。
いよいよ実家を出るという日、父が車で送ってくれた。
父は相変わらず無口で、車中で会話が弾むことはなかったが、車を降りる時に「ありがとう」と一言、目を見て告げてみた。
送ってくれたことに対してだけじゃない、いろいろなことに対する感謝の気持ち。
きっと、こんな一言だけでは父に伝わらないだろう。
だけど、改めて全てを言葉にするには、気恥かしさや照れくささや、様々なものが邪魔をする。
父はただ、言葉も無く
いつかは自分も、こんな自分の性格を、誇りに思える日が来るのだろうか。
今はまだ、想像もつかない。
だが少なくとも今の自分は、昔ほどにはこの性格を嫌っていない。
真面目に生きるなんて馬鹿らしいと、嘆いたりはしていない。
クラスの“人気者”や、小学校時代の“問題児”にしか得られなかったものがあるように、こんな自分にも、こんな自分
何となく、今は、そんな風に思えるのだ。
・青春オムニバスSSシリーズ「青過ぎる思春期の断片(略して「青春断片」)」の第5弾です。
・このシリーズは「小説家になろう」さんにも同じ内容のものを投稿しています。
・このシリーズは以前UPしてきた恋愛オムニバスSSシリーズ「まるで純度の高い恋の結晶のような…(略して「純恋結晶」)」の姉妹シリーズのようなものです(恋愛要素の有無が違うだけ)。
・前回が「母の月」で母と娘の物語だったので、今回は「父の月」で父と息子の物語です。
・「真面目」にも様々なパターンがあるかと思いますが、今回は「生きるのに不器用で容量が悪いほど真面目」な感じをイメージして書いています。
・念のため書いておきますが、これは「どんなにキツくブラックな環境でも“真面目”にやり続けなければならない」という話ではありません。真面目に頑張るにも限度があると思いますので…。
・父と息子だと、母娘よりも普段からのコミュニケーションが少ないイメージがあるので、その辺、少し苦労しました…。
・「親に対してイマイチ素直になれない」あたりは前回の話と一緒なのですが、娘から母へと息子から父へとだと、また印象が変わって来ますね…。
・親に限らず、他人の言葉、あるいは読んだ本に書かれた言葉が「時間差で効いてくる」というのは、人生ではよくあることだと思っています。年齢が上がれば感じ方や考え方も変わってきますし、人生経験も増えて「あれはこういうことだったのか…」とふっと気がつくことがあったり…。
・親子関係も十人十色で様々だと思いますが、前回・今回は母の月・父の月と合わせて良き母・良き父の“イメージ”で書いています。実はこれは、いずれは「ひどい親」(?)の話を書きたいので、その前に「良い親」(?)の話を先に書いておきたいという思いもあってのことだったりします。
・父親の職業は「社会インフラに携わる人間=人々の日々の暮らしを支える仕事」ということだけは決まっていたのですが、直前までいろいろ悩みました。
(電気工事関係者という案もありました。)
・もうひとつ地味に悩んだのが「電車が来る時に下がらなければいけない例のラインの名称」です。ひと昔前なら「白線」、今は「黄色い線」や「点字ブロック」など様々な呼び方があります。「白線」なら2文字で済んで文字数節約に良かったのですが…最近は実際白いラインの所なんてあまり無いかな…ということで。
(このシリーズは「5〜10分で読める」ことを目標にしていますので、単語ひとつをとっても文字数に気を遣うのです。)
・描きたい要素がたくさんある時、SSというボリュームはシビアです…。「アレもコレも入れたい」という思いと「短くまとめなければ」という思いとのせめぎ合いの中で書いています。
・これを書いた6月は全ての土曜日が出勤で(おまけに平日にも残業があり)余暇時間が普段の月より少なかったので、いつもよりさらにキツかったです。
(普段の月なら他の小説と同時進行で作業を進めたりもしているのですが、今月はそれが無理なので、1週間(もしくは2週間)で1つのタイトル(+時間があればモバイル版の作成やサイト&SNSの整備作業)という感じで進めていました。)
・今回は小説で初めて「一人称・自分」にも挑戦しています。コレが結構書いていてややこしいのですが、それが分かっていて敢えてチャレンジしてしまう辺り、もはや「自分の限界に挑戦する」ことがヤミツキになってしまっているのかも知れません…。
・このシリーズ、しばらく重めの話が続いたので、次回はもう少し「ほんわり」したものを書きたいな…と思っていますが、予定は未定です。