繁華街に突如現れる”村の鎮守”。
やたらと目を引く石柱
山手線・大塚駅の南口を出ると、やたらと目立つ石柱があります。大きく「天祖神社」と刻まれています。
しかし周りを見渡しても神社らしいものはありません。いかにも”駅前”という風景が広がっているだけ。
でもGoogleMapで見てみると、駅から少し離れたところに確かに「天祖神社」とあります。
こんな大きな石柱を駅前に誇る神社っていったいどんな神社なんだろう…?
確かめてみることにしました。
石柱を揮毫したのは大物だった!
神社に向けて出発する前に、気になることが。
石柱の正面から向かって左側面に大物政治家の名前が記されていました。
鈴木貫太郎。太平洋戦争終戦時の内閣総理大臣です。
海軍の要職から侍従長になり、昭和天皇の信任も厚かった。1936(昭和11)年、陸軍が起こした2・26事件では瀕死も重傷を負うも奇跡的に復活を遂げ、戦争末期、終戦工作に奔走しました。
でもそんな日本政治史上の重要人物がなぜ、揮毫しているのか。ネットで調べた限りでは「この石柱が建てられた昭和9年(石柱に刻まれた年号)に大塚に住んでいたらしい…」くらいまでしか分かりませんでした。
また事実が分かったら記事に加筆しようと思います。
ん、あれは鳥居じゃないか?
話を天祖神社の散策へと戻します。
GoogleMapの導きに従い、南へ歩きます。するとすぐに商店街がありました。
サンモール大塚商店街です。
商店街のゲートは…なんと!鳥居の形をしていました。
この地区の人たちにとっては、天祖神社は商店街のシンボルにするくらいの、大きな存在なんでしょうか。
飲食店色が濃い商店街
サンモール大塚商店街。商店街と銘打っているものの、飲食店が多く、盛り場の印象が強かったです。
本当にこんな歓楽街の真っ只中に神社なんてあるのか…。
天祖神社 発見!
…と思ったら、突然に神社、現れました。しかもけっこう立派なお社です。
早速境内へ。
巣鴨村の鎮守だった!
境内には、割と詳しめに神社の由来が案内されています。
それによると、この天祖神社、かつてはこの辺り一帯の「巣鴨村」の鎮守(その土地の守り神)だったそうです。
その当時の絵図も境内には掲げられていました。
神社の周りは完璧な農村です。今の商店街とは大違い…。
この辺りは大塚エリアですが、昔は巣鴨”村”だったんですねえ。巣鴨村の範囲は、今の巣鴨から東池袋までを含んでいたそうです。巣鴨の概念がずいぶんと広い…。
この辺りの土地を守ってくださる鎮守だからこそ、駅前に石柱があったり、商店街のゲートが鳥居になっていたりするんでしょうね。そのくらい地元にとって大切な神社であるようです。
祭神は伊勢神宮と同じく天照御大神
鎌倉時代(古い!)、この辺りを治めていた豪族の豊島氏が、伊勢から天照大御神を勧請して、お祀り申し上げたのが、この神社の起源だそうです。
言われてみれば、神社の鳥居の形が伊勢神宮と似ている気がします。
大空襲と”三業地”の記憶
大塚など豊島区一帯は、戦時中の大空襲(昭和20年4月13日)で相当、大きな被害を受けました。この神社も全焼したそうです。
しかし、境内にある大銀杏は、焼け焦げつつも、未だ、境内にその生命を保っています。
先の戦争の、貴重な生き証人です。
またこちらの写真。
境内にあったものですが、たくさんの芸妓さんが写っています。
かつて、大塚駅南側は「三業地」と行って、料理屋、待合(芸妓と遊ぶところ)、置屋(芸妓を抱えておくところ)などのお店が固まって存在する花街でした。この写真は、大塚が花街として華やかだった頃の記憶を伝えています。
かつての三業地を歩いた記事はこちら
大塚の人々にとっては、この神社は街の記憶を伝える大切な場所のようです。
最後に
どうして駅前にこんな目立つ神社の石柱があるんだ…?と思って、探索してみましたが、意外な場所に相当由緒ある神社が存在していて、面白かったです。変わったものを見つけたら、その由来を探して歩くくらいの余裕がいつも欲しいですね…。