昨日友人の家から、上野の博物館へ「国宝 東寺―空海と曼荼羅展」を見に行きました。
会場を出て道路を渡ると、キリスト教のテントがあり、炊き出しが終わったところでした。
話を聞くと、150~200人くらいの人が炊き出しを食べにくるとのこと。
しかし、上野の森には1,2人のホームレスらしき人が隠れるようにいるばかりで、道路わきにいくつのも「家財道具」だけが置いてありました。
森を歩いていると鳩がいて、私はパンくずを持っていたのでやりました。
すると、後ろからきた私と同年配の男性が「鳩に餌をやるな。やってはいけないことになっている」というので、
「どうしてですか」と聞くと、
「餌をやると鳩が太って渡りができなくなるから」という。
「鳩は留鳥だから渡りはしません」というと、次に「規則だから」という。
「渡りをするからとか、規則だからだとかいろいろ言うけど、本当はなんでなんですか」というと、
「あんたみたいな人と話してもしようがない」と緊張の面持ち。
にっこりして「あなたみたいな人とお話してもしかたがありませんね」というと、速足で去っていきました。
猫のけんかだったら「勝った!」
つまらない八つ当たりでしたが、近年、まず規則とか、迷惑とか、いう論理で「気の毒」とか「可哀想」という感傷が否定される場面が増えているような気がします。
しかし、彼のおかげで、しゃっきりと元気が出ました。
いつでも、人との会話は元気の元ですね。
彼もそれなりに元気が出ていればいいのですが。
-K.M-