郷土教育全国協議会(郷土全協)

“土着の思想と行動を!”をキャッチフレーズにした「郷土教育」の今を伝えます。

「楽しいだけ」ではいけないの? (2)

2019年04月18日 | 日記

私から見れば、「たし算」も「切り紙工作」も

「教育的な意義がある。それも大いに。」

と言い切る。

 

なぜなら

「子ども達が楽しんでいる」

という事実があるから。

 

私は、少なくても、学校においては、

「子ども達が楽しんでいることの全てに、教育的な意義(または価値)がある。」

と、考えている。

 

たとえば、私は今の職場で、「外掃除」を担当している。いわゆる「落葉はき」である。もう6年目になる。この間、多くの子ども達から

「外掃除は楽しい。」 

と言ってもらえた。

 

特に何かを工夫したわけではない。ただ単に子ども達と一緒に落ち葉や枯れ枝を掃き取り続けただけである。

 

もちろん、サボる子もいた。でも、それは、ごく少数であり、みなよく掃除に取り組んでくれた。

 

私は「掃除(清掃)」に「教育的な意義」などという、仰々しいものなど、つけたくもない。

 

しかし、「教育的な意義」云々についてこだわる人々は、

「掃除が楽しい。」

という子ども達をどう考えるのか?

 

(たぶん、「楽しいなどけしからん。きれいにならなきゃダメだ。」と、そんなところだろう。)

              □▪️□▪️□▪️□▪️□▪️□▪️□▪️□▪️

 

もう少し、「掃除(清掃)」について、考えてみたい。

「掃除(清掃)」の目的は、「キレイにすること」である。

そのことに異論はないだろう。

(清潔や整理整頓のことは、ここでは語らない。)

 

目的が「キレイにする」ことにあるのだから、

掃除をすることが楽しかろうが、楽しくなかろうが

「キレイにする」

しかない。たぶん、多くの子どもにとって、「楽しい」などとは思えないのではないだろうか?

 

しかし、私が担当している、「外掃除」にやって来る子ども達は、口々に「楽しい」という。

(私の想像だか、完璧にきれいにできる場所でもないし、落葉はきをしたところで、またすぐに落ち葉や枯れ枝が落ちてくる。そんな場所に対して、担当している私自身が、「ま、やれる範囲で一緒にやろう。」そんな感覚でいるから、子ども達も気軽になのかもしれない。)

 

いずれにせよ、毎日の掃除の時間に喜んでやって来る子ども達を見ると、私自身も元気をもらっている。

 (つづく)

 

-K.O-


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