ところで、
「楽しいだけではいけない。教育的な意義がないといけない。」
という人たちの多くが
「自分教える側が楽しいと思う(または信じている)こと、もの」
を、楽しんでくれない子どもをバカにすることが多いようだ。
私は「教え方、伝え方」が悪いと言いたいのではない。
教えよう、伝えようとしている「こと、もの」が子ども達とずれているのだから、楽しんでもらえないことに気づいていないだけなのだと思う。
だけど、この国の権威(文科省、学者、教委など)と呼ばれる人たちは
「教科書に載っていることは楽しいことなのだ。それを楽しくないというのは、それを伝える人(教師)が、悪いからだ。」
というわけ。
だから、心ある多くの教師が
「どうしたら、これ(教科書にあること)を楽しく伝えられるのだろう。」
と、四苦八苦することになる。
心ある教師の中の多くの人々は
「(教科書にある)こと、ものはいいことだ。」
と信じきっているのである。
教える「こと、もの」(学習指導要領)が、正しく(または適切に)「改訂」されてきたのなら、それでよいのである。しかし、そうではない。
(例えば、いわゆる「ゆとり教育」の批判など。)
だけど、教師の多くは「権威」(文科省、学者、教委など)に弱い。だから権威が認めないことを、子どもが楽しんでいると教科書にないことや、自分自身の頭で考えることなく、
「楽しいだけではいけない。」
となるわけである。
(つづく)
-K.O-