ウイスキーの刻 ~Whiskyのとき~

耳を澄ませば聴こえるウイスキーのメロディ。
『ウイスキーの刻』は、その真実を探し求めていきたいと思います。

暑苦しさとは、かくの如し。

2019-08-22 19:19:19 | 日記
 こんばんは。Aokiです。

 私事で恐縮ですが、これまでに飲んだ量が最も多いのは、日本酒です。

 日本酒ですが・・・嫌いなわけではありません。

 ただし、ひとり酒であれば、ほとんど選ぶことはなかったと思います。

 当時は、ジンとバーボンが特に好きでしたので。

 にもかかわらず日本酒の量が一番多いのは、日本酒メインの飲み会が多かったからです。

 齢四十前の方々には想像できないと思われる世界が、当時はありました。

 例えば・・・

 一次会:日本酒。チェイサーはビール。量の記載は自粛いたしましょう。

 二次会:日本酒。

 三次会:まさかの日本酒のお店。


 翌日?
 もちろん、お仕事です。


 以前の記事でも申し上げましたが、私、医学的にはお酒があまり飲めません。

 「一滴も」ということではありませんが、せいぜいビール1~2杯くらいが適量ではないかと思います。

 しかし、先輩諸氏に勧められて断るのは無礼、後輩に勧められて断るのは無粋・・・

 ということで、“勧められる前に自ら飲む”を心がけておりました。

 ビール1杯で顔が真っ赤。

 2杯で全身も真っ赤。

 それでも日本酒1升、ウイスキーボトル1本をひとりで空けるほどは飲めた・・・

 というよりも、飲んだ経験から、わかることがあります。

 例外はあるものの、“不可能”ということは、世の中にあまり無いということです。

 また、お酒とは無関係ですが、医師から告げられる「この状態では無理」は、挨拶みたいなものということも理解しております。


 なお、あまり飲めない体質でも飲める(限度はございますよ)秘訣がございます。

 これは、究極のダイエット法にも通じるものです。

 誤解無きように申し上げますが、汚いお話ではありません。

 「そんな都合のいい方法なんて、あるか!」

 あるのです。

 ・・・が、お勧めはできません。

 というよりも、ある種のDNAが必要かと思います。


 ここまでお読みいただいた皆さまは、

 「何が言いたい?」

 「酒量自慢?」

 「根性自慢?」

 等々思われるかもしれませんね。


 どのように感じられるかはお任せ致しますが、お伝えしたいことは二つです。


 ひとつは、繰り返しになりますが、

 “不可能”ということは、世の中にあまり無いということ。

 多くの場合、自分自身で限界を設定してしまうのが、生物としての性(さが)であるようです。

 これは生存の観点から、正しい習性です。


 ふたつ目は、“無理”はしない方が良いということ。



 世の中は、一見、矛盾に満ちているように思います。

 “無理”をしなければ、わからないことがあります。

 それは、とても大切なことで、できることなら知っておいた方が良いことです。

 しかし、“無理”は、その対価を求める悪魔との契約のようなものです。


 平穏無事な人生を送ることが許される環境であれば、やはり“無理”はしない方がよろしいかと思います。

 ただ、困ったことに、その人生では“ウイスキーの刻”に辿り着くことは難しいようです。



 本当に美味しいウイスキーに出逢うことは、背中合わせの真実のようなものです。

 振り返ればそこに在る・・・

 しかし、敢えて前に歩き続ければ、長い道のりの先にそれが在る。

 後ろを向いて簡単に手に入れたウイスキー。

 自ら歩き続けて出逢ったウイスキー。

 必要なときに、そのウイスキーがそこに在る。

 最初からそこに在ったウイスキー。

 “銘酒”とは、必ずしも銘柄ではなく、そこに至る道のりなのかもしれません。

 そして、出逢いは、出逢うべきときに訪れるものです。

 出逢ったときに、ボトルが空だったら?

 よいではないですか。

 誰かがその幸せなときを、過ごせたのかもしれません。

 空のボトルには価値が無い?

 そんなことはありません。

 ウイスキーを飲み終えたグラス。

 5~10分後にその香りを確かめてください。

 終わっていなかったことに気づきます。

 同様に、空のボトルは、祭りの後の静けさに似ています。

 そこに満ちていた味わい。

 それと向き合った心。

 賑わい、静けさ・・・刻・・・



 誰かが飲んでいるウイスキー。

 同じウイスキーを飲める人はいません。

 同じボトルであっても・・・です。



 真実を知ることで、“ウイスキーの刻”は、そのベールを脱ぐように思います。

 “究極の心地良さ”が激痛からの解放であるとすれば、“究極の静けさ”は、闘いの先にあるのかもしれません。

 “ウイスキーの刻”は、そこに在る・・・



 ここまで綴り、多分、皆さま、かなり引いていらっしゃるのが感じられます。

 それほど大袈裟に語ることでもないですね。


 ウイスキー・・・“美味い”と感じたそのときが、“ウイスキーの刻”。

 この方がスマートです。

 今さらですが。


                         Z.Aoki
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